アジャパー学ピカソ科
Amebaでブログを始めよう!

原発事故問題

スペイン、アリカンテはここ数日、北東からの風で涼しい。
相変わらず太陽はギラギラだが、そよ風が気持ちいい感じです。
日中はノースリーブでOKだが、建物や乗り物の中は寒かったりするので、カーディガンは欠かせない。

さて、通っている美術の学校が夏休みに入っているので、今まで読めなかった本などを読みふけって、原発関係の記事や動画を漁っています。

その中で、ハラワタが煮えくり返るような、いや、事実、煮えくり返ったニュースがこれ。

先日7月19日に福島市のコラッセふくしまで行われた対政府交渉

いやー、ひどいです。
公務員ていうのは日本語が通じない機械のようなもので、この人たちに何を言っても無駄だなのではないか。
巨大なスポンジにパンチしてるような感覚で、まるっきり無意味に思われてくる。
政府としては、こっちがそう思ってくれるほうがいいのだろうが、そんなのん気なことを言ってる場合でもない。

一揆しかないと思う。

飛躍しすぎかもしれないが、もう、そういう段階にきてるのではないか。
原発をなくすことは絶対だし、現実的にそうなっていくんだと思う。
しかし、汚れたものを放置したり、セシウム牛などのようにばら撒いたり、非難しようとしてる人の足を引っ張ったり、ってのにはいくら辛抱強い日本人だって我慢にも限界がある。

スペインだったら間違いなく政府と衝突しているでしょう。
まず、スペインの役人はやる気は無いが、口だけは達者である。病院だってどこだって気軽に話しかけ、気軽に喧嘩している。喧嘩といっても、もちろん言い合い程度だが、顔を真っ赤にして「わしは悪くないぞ」ってことをいうのである。とても人間的で感動する。しかし、日本の役人はどうだ、民族的な違いはあるにせよ、住民が涙ながらに訴えてるのに、「私はしらんけんねぇ」ってオーラを醸し出し、まったく話にならんではないか。それでも人間か!

あー、イライラします。
福島の人はもっともっと辛いはず。
これは一揆を起こして、生身の人間とはこーゆーもんだってのをコームインに見せ付けるべし。と思う。



渾身の一作

とりあえず、陶芸学校の二年生が終わりました。
来年は、いや、この夏から始めないといけないのだが、卒業制作を残すのみ。
いやはや、駆け足で通り過ぎたこの二年、得たものは大きい。
毎日毎日、陶芸が楽しくて仕方が無い。

自分で言うのもなんだが、今年の良くできましたで賞はコレだろうか。

アジャパー学ピカソ科

「Botijo Pera(ボティッホ・ペラ)」というお題で作ったこの作品。

Botijoは陶器製のスペイン伝統水入容器のこと。
容器自体に気泡が沢山あるので、日差しにかざしておくと容器が汗をかく、すると中の水が冷たくなるという仕組み。嘘のようでホントの優れた容器なのだ。放牧や農業で暮らす人々には昔から欠かせないものだったらしい。

このBotijoを産業にしていたところがAgostという村。アリカンテ市から30分くらい車で行ったところだ。
今ではこのBotijoもペットボトルにおされて活用されなくなったが、Agostでは毎年陶芸市や、私の通っている学校の陶芸科の生徒が新しいBotijo企画してコンペをするなど、村興しに一役かっている。

そのBotijoコンペの今年のお題が「Pera」だった。
Peraは「梨」という意味。果物の梨、もちろん洋ナシである。

私の学校はアーティスティックな陶芸科であるため、クラスのみんなは実用性のない、コンセプチュアルなBotijoを企画していたが、私は「用の美」、民芸品をこよなく愛する日本人である。できるだけ、スペインらしく、無駄を省いた作品に仕上げた。

この形は元々、洋ナシをイメージして作ったが、結果的には「Porrón(ポロン)」という、スペイン伝統のワイン容器に通じるところがある。名づけて「Botirrón(ボティロン)」である。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
参考資料:

アジャパー学ピカソ科
△Botijo (ボティッホ)
熱くて乾燥した土地でないと汗をかかない。汗をかかないと中の水が冷えないので意味が無いのである。
だから、アジアなどでは使えない。
飲むときは、口を付けないようにラッパ飲みをする。


アジャパー学ピカソ科
△Porrón(ポロン) 
どうでもいいが、「rr(ロ)」は舌を丸めて震わして発音する。
これも口を付けずにラッパ飲みするのだ。コップがいらない便利な容器だが、私は旨く飲めない。

この差はなんだろう。

友達に会いたい。
この頃、切実にそう思う。
その原因はなんだか凄く遠くに感じるからだ。

日本から離れているが日本の情報はインターネットから入手できる。
しかし、日本の友達はテレビからの情報が主なわけで、その両者には今「とてつもない」溝があるように思えてならない。大手マスメディアは福島原発は収束に向かっているような報道をし、ネット上では悪化をかろうじて阻止している、決して改善はされていないという情報が大半だ。

なんなんだこの差は。

文科省は今日、福島はチェルノブイリの2倍以上の汚染があるというモニタリング結果 を発表した訳だが、この重大ニュースを大手テレビ局は報道したのだろうか?

こうした「差」が出てくるのは、マスメディアの報道のあり方が悪いのか、政府の情報の出し方が悪いのか、原子力村の特殊な性質のせいか、私にはわからない。ただ、友達と家族の健康を守りたいだけだ。

私の友達は殆どが母親でありその予備軍である。

友達には武田邦彦教授の生活と原発編 を送信しているが、実行しているのだろうか。
今、頑張って乗り切ればこの先ずっと楽になるのだが、みんなわかっているのだろうか。
政府や官僚に自分の健康を任せず、自分で判断してるのだろうか。
私が神経質すぎるのだろうか。

私が日本にいたら、やっぱり「のん気」に生活してるのだろうか。

わからないことだらけである。



地震大国日本と陰翳礼讃

久しぶりにブログでもかこ。

学校の宿題は一杯あるのだが、ここのところあまり手につかない。
3.11の震災以来、日本が気になって、気になって。
実家も原発に近くはないが遠いとはいえない距離。
直線距離で南西に170kmくらいだろうか。

福島原発の事故がなければ、救援と復興に向かって日本中がガシガシと前進するはずだった。

甘かったんだ。

こんな地震の多い国に元々原発はムリだったんだよ。
それが、なんとなく大丈夫だろうと油断があったんだな。
日本の技術は凄いだかんね。っていう中身のない「安全神話」もあった。
原発を問題にできなかった。っていうマスメディアの問題もあった。

このつけを払うのは紛れもない日本国民だろう。
その前に、東電には逆さにしても鼻血もでないくらい「綺麗」になってもらわないといけない。
「安全・安心」を売りつけた御用学者にも責任をとってもらいたい。
今頃寝返ってももう遅いのだ。

でもな、もう汚れてしまった。
福島も関東も海も。日本中、世界中汚れてしまったんだよ。
誰が謝っても責任とってもどうにもならない。
こうなった原因は一人一人にあるのかもしれない。
目の前の便利な生活が楽しくて、見ようとしなかったからな。

あーあ、ごめんなさい。

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を思い出す。
私たちの先祖は暗がりの中に美を探しだした。と谷崎はいう。
床の間のく暗がりや障子の影などを例にとって、日本人が磨き上げた「美」を教えてくれた。
現在の東京をみたら谷崎は卒倒するだろう。
電気広告と無駄に垂れ流す巨大テレビにボコボコにされるだろう。
もう、日本人は忘れてしまったんだろうか。
日本人が愛した暗がりを。

この時、もういちど立ち止まって考えてみなければ、家や畑や田んぼや家畜を失った人に申し訳ない。

ビジェナの宝

昨日、Villena(ビジェナ)という街に行ってきました。
目的は”Tesoro de Villena”(ビジェナの宝)の見学です。

前回のカランボロの宝と同じぐらいの年代のもので、繊細な細工が施されています。
というわけで、今回もお宝の解説。どちらかのお宝がテストに出題されるのです。

Villenaはアリカンテから北西に60kmくらい行ったところである。
Villenaの地図

そこで1963年、こんな太古の財宝が見つかった。
アジャパー学ピカソ科

金、銀、鉄、コハクでできた計59個のお宝だ。
これらを造った時代は紀元前1,000年以上前に遡る。オリエントから青銅器時代が伝わってきて、鉄器時代に入ろうとしている頃だという。日本では縄文時代の真っ最中だ。

今回もコレを最初に発見したのは工事現場で働いている人である。

以下はスペイン版wikipediaの”Tesoro de Villena”をざっと翻訳したもの。

発見の過程
1960年代、ビジェナでもその他の街と同じように建設ラッシュが続いていた。その為、近くの山ではコンクリート用の砂利(砕石)を採掘していた。1963年10月、一人の作業員が砂利の中に見たことの無い金属製の部品を発見した。それを親方に渡し、親方は何かトラックの部品だろうと思い、誰の目にも留まる所に置いた。
何日か経って、別の作業員がその部品を家に持ち帰った。その作業員の奥さんがそれを宝石屋に持って行ったのは1963年10月22のことだ。
宝石屋はそれが只ならぬ腕輪であると気づいて、考古学者であるホセ・マリア・ソレル教授に連絡した。ソレル教授は兼ねてからこの辺りの宝石屋に出入りして、もし変わった宝石が届いたら連絡するようにいっておいたのだ。
ソレル教授は宝石屋からの連絡を受けてすぐに飛んできた。
それから間もなく、検視官の立会いの下、調査が行なわれたが何の成果も得られなかった。

1963年11月25日、同じ宝石屋に一組の夫婦が現れて、前回のものと同じような特徴の腕輪を持ってきた。夫は工事現場の運搬をしているフアンである。彼はその腕輪が婦人の祖母の遺産だといった。
宝石屋はソレル教授に連絡を取ってこの事を告げた。そして、ソレル教授は裁判所に報告した。
裁判所に出頭する日、フアンはソレル教授の家に訪れて、この腕輪はモロン山脈の麓で発見したことを告白した。11月30日、こうしてその周辺の発掘調査が始まった。
12月1日、午後5時、発掘作業の撤収をしようとしていた時、陶器に入った財宝がみつかった。


アジャパー学ピカソ科

金の腕輪→28個
鉄の腕輪→1個
金の器→11個
金のボトル→2個
銀のボトル→3個
金と鉄のブローチ→1個
金とコハクのボタン→1個
その他→12個
計、59個。その重さの合計は10kg近くになる。

腕輪の特徴は非常に特殊である。張り合わせ、型へ流し込み鋳造、ノミやキリによって掘削。
器(ボール)の特徴は、先の丸いパンチによって幾何学的な模様が打ち付けられている。



見つかった場所は、この時代の住居があったと見られる位置からは離れたところです。
想像するに、この財宝の持ち主だった部族と、他の部族間で戦いでもあったのだと思います。そして、負けそうになったこの部族は、この財宝だけは渡すまいと郊外の地中に急いで埋めたのだと・・・

以下は昨日、博物館に行った時の写真です。

アジャパー学ピカソ科


アジャパー学ピカソ科


アジャパー学ピカソ科
何だか非常に繊細で細やかな仕事ですね。


アジャパー学ピカソ科
こんなケースに入っていて、博物館の人が開けてくれます。

アジャパー学ピカソ科
解説してくれますが、発見された年を間違って教えてました(苦笑)


アジャパー学ピカソ科
この陶器に入っていたそうです。特別な陶器でないところに、当時”急いで埋めた”感が読み取れるのは私だけでしょうか。


ココまで調べたんです。テストは合格するでしょう!!!

カランボロの宝

カランボロとは土地の名前で、スペインはセビージャ(セビリア)近郊にある。

そこで1958年、タルテシコの宝が見つかった。

アジャパー学ピカソ科-カランボロの宝

タルテシコは今から2500年前、イベリア半島は現在のセビージャ付近に栄えた集落である。


アジャパー学ピカソ科


以下、wikipediaの”Tesoro del Carambolo”スペイン語版をざっと翻訳する。

1958年9月30日、土木工事をしていたアロンソ・イノホス・デル・ピノ氏によって、地上から僅かな地中で考古学上とっても価値のある24金のブレスレットが発見された。
そのブレスレットは飾りが欠けていたため、イノホスさんは同僚とその周囲を探した。そして驚いたことに陶器に入った黄金の飾りがワンサカでてきた。しかし、この飾り物は何かの偽物だろうと思い込み、本物の金ではないように見えた。考古学上重要なものだとは思いもしなかったイノホスさんとその同僚は、お宝を皆で分け合った。その中の一人が金ではないことを確かめるため、お宝の一つを折って切り裂いてみせた。この行為によって、牛の皮の形をしたお宝に永久不滅な傷跡が残った。
その後、彼たちは良心と恐怖心からこのお宝のことを施主に報告した。
この時点から伝説が実在にかわっていく。(昔からこの周辺に宝が眠っているという伝説があったらしい)

タルテシアの研究をしているカリアソ教授によれば、キリストが産まれる8世紀から3世紀前に造られた装飾品であると断定できるという。カリアソ教授は加えて、
「この時代の伝説上の人物、アルガントニオのものだったかもしれない」といっている。

この装飾品の特徴は、絶妙な金細工加工が施されていることである。その技術はロスとワックス鋳造、ラミネート、打ち抜き、溶接と多彩である。中にはトルコ石や綺麗に輝く石が埋められていた形跡のある装飾品もある。
特記しなければいけないのは、判子をペンダントとして造られた首飾りと思われるもので、七つ(元々は八つだった)の判子が鎖で吊るされている。この判子は身分証明のような役割をしていたようである。若しかしたらはるか昔東方から伝わってきたもので、それをこの時代になっても装飾品として大切に持っていたのかもしれない。




日本語がおかしいのはお見逃しください。

それにしても、夢があるなぁ。


包む文化

現在、私はスペインのアリカンテという街にある芸術専門学校で、陶芸の勉強をしています。

この夏に陶芸にはまって以来、ここスペインでもトントンと入学が決まったので、ワサワサと一生懸命学んでおります。陶芸に関しては日本の方が進んでいるというか、文化度が高いのだろうけど、私の住家は今のところスペインなので仕方が無い。

何はともあれ、その学校で与えられたプロジェクトをこのブログで発展させていこうと思います。

最初に出されたお題は”CONTENIDO”(容器)を造る。
ただの容器ではなくてConcepto(概念)を決め、それを発展させて最終的には陶芸で抽象的に表現する。

要は、アートという名のもとで使い物にもならない物体を造って遊ぼうではないか、という魂胆である。
だがしかし、一つの概念をじっくり掘り下げるにはイイ機会なのであります。

そこで私が決めたのは”日本文化は包む文化”という概念。
よく言われるフレーズであるし、私もそう思う。
だた、なぜそうなのか、と聞かれても答えようがないのだ。

「包む」ことに関して日本人は何か特別な意味があるのではないだろうか。

贈り物を風呂敷で綺麗に包んで持っていく、それを相手の目の前に置き優雅に解いて渡す。
この仕草、作法が贈り物に「心配り」や「思いやり」を込めたのだろう。
それを昔の人は「奥ゆかしさ」といったのである。

しかし、何故その行為が奥ゆかしいのか。
スペイン人にはわからないと思うな。
「これが美しい」というものを「何で美しいと思うのか」と聞かれてるのと同じように説明するのが難しいのである。

混沌としたところで、お休みの時間です。
眠れるかな~。
それがコロッと眠れるんだな~(笑)


陶芸強化訓練中

ただいま日本の実家にて陶芸強化訓練中です。

先生は万古焼きの急須屋さんです。
実家がお茶屋なんでそのつながりです。

日本滞在が残り一ヶ月なので、その間にどれだけ出来るようになるか・・・
湯のみくらいは作れるようになりたいな。
菊練りもしっかり出来るようになりたいな。

というわけで、このブログの更新が疎かになってます。




大作「ゲルニカ」が生まれるまで

マドリッドのソフィア王妃美術館にその絵はある。
私はその大きさと、その絵が物語る悲劇に圧倒されたものだ。

死んだ子を抱いて泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったようにいななく馬などが強い印象を与える縦3.5m・横7.8mのモノトーンの大作である。

アジャパー学ピカソ科-ゲルニカ

この絵はスペイン内戦中、フランコ反乱軍を支持するドイツ空軍(コンドル軍団)によって、民間人を標的にした史上初の無差別爆撃に憤怒したピカソが、パリ万国博覧会スペイン館の壁画として完成させた。

爆撃された町が人口6000人のバスク地方の小都市ゲルニカ。
産業都市ビルバオから東へ40km、鉄道や道路の交通の要だった。

その爆撃は、ビルバオで戦線を張る共和国政府軍の補給を妨害することが目的であった。当時は、ゲルニカの橋梁だけを爆撃する精密爆撃ができなかったため、市街地全体を爆撃することで交通を麻痺させるという手段がとられた。

1937年4月26日月曜日、4時間にわたり爆撃。
この事件がたまたま外国人記者たちに知れ、国際法違反の史上初無差別爆撃として喧伝される。

それが、絵画「ゲルニカ」を生んだ。

のちにナチスの将校が絵画「ゲルニカ」の写真を手にピカソに尋ねた「これは、お前のしわざだな!」すぐさまピカソは答えた「いや、お前たちのしわざだ!」

さて、この史上初といわれている無差別爆撃だが、その死傷者の数には諸説あるようだ。バスク政府が当初発表したのは、死者1654人、負傷者899人だった。
日本語のwikiゲルニカ にもこの数字が記載してある。

しかし、実際の死者は300人前後であったといわれている。
2007年4月27日のスペインの新聞、エル・ムンドの記事(スペイン語) によれば、死者数は150人~250人だというし、ゲルニカサラ歴史研究協会が発表した最近の数字は、死者126人だそうだ。Refugios de vida para Gernika(スペイン語)

それにしても、ゲルニカ爆撃は本当に"史上初の無差別爆撃"だったのだろうか?
また、何故、一般市民の日常を奪うような"無差別爆撃"をしなければならなかったのだろう。考え方は違えど同じ国民だろうに・・・

"ある日突然降ってくる爆弾"というのは相当の恐怖だとおもう。

無差別爆撃は絨毯(じゅうたん)爆撃ともいわれ、投下地域の人員・物的資源・交通拠点の完全破壊や心理的効果(戦意喪失)等を意図して行われる。

その原点は第一次世界大戦の時にあるようだ。
ドイツ軍は飛行船を使ってロンドンなどの産業都市に(小規模・不精密ながら)空爆をしている。しかし、それはあくまでも産業施設(軍事施設)が標的であって、無差別ではなかった。それが空軍の誕生とともに発展していった。

スペイン内戦中は1936年8月からフランコ反乱軍によって、マラガ、バダホスが爆撃、人民戦線政府側もセビリア、サラゴサ、コルドバを爆撃していたらしい。しかし、どれも小規模で逆に敵の士気をあげる結果となったようだ。ゲルニカ爆撃の直前1937年3月31日にはドゥランゴで爆撃があり、ゲルニカ以上に死傷者がでている。
やはり、ゲルニカは史上初の無差別爆撃ではなかったようだ。

私が住むアリカンテも1936年11月から始まって、71回にわたり爆撃されている。
死傷者は481人、705棟が崩壊している。
中でも最大なのが1938年5月25日(日曜日)午前11:00、フランコ反乱軍を支援するイタリア空軍によって中央市場に90個の爆撃が落とされ、313人が亡くなっている。そのほとんどが女性と子供だった。


(ここまで書て気が滅入ってきました。扱う内容が内容だけに"爆撃"の連呼です。)


ピカソの絵画「ゲルニカ」によって表現されたのは"ある日突然降ってくる爆弾の恐怖"である。それによって有名になったゲルニカであるが、それによって無差別爆撃の恐怖が現実になったんだと思う。その表現方法がキュピズムであっただけに、写実主義のそれよりも人々の想像をかきたて、実体となって人々に訴えかけたように思う。
そして、いまなおゲルニカは平和の象徴画として語り継がれる。

アジャパー学ピカソ科


参考文献:wikipedia(ゲルニカ、ゲルニカ(絵画)、パブロ・ピカソ、Guernica y Luno(スペイン語)、Bombardeo de Guernica(スペイン語)、Alicante(スペイン語)等)、
フランコ スペイン現代史の迷路/色摩力夫(しかま りきを)著

サグラダファミリア鐘楼の謎

いや~、謎だ。

謎が謎を呼んでいます。

謎1.)鐘の形と数
謎2.)鐘楼の構造
謎3.)鐘の設置時期


アジャパー学ピカソ科-鐘楼-外



少しややこしくなるので、話を整理するために
まずは、サグラダファミリアの概要をまとめてみる。

~・~・~・~建築概要~・~・~・~
建築物の名称:El Temple Expiatori de la Sagrada Família(聖家族贖罪教会)
住所:Carrer Mallorca 401 Barcelona SPAIN
施主:Asociación de Devotos de San José(サン・ホセ使従会)
用途:教会
構造:石造、一部鉄筋コンクリート造
敷地面積:14600㎡
延床面積:20294㎡(全長128m・幅82m)
---5廊式身廊(長さ39m・幅45m)、3廊式袖廊(長さ60m・幅30m)、18基の鐘塔・中央塔(高さ170m)で構成
着工:1882年 
竣工予定:2026年頃らしい
---東正面「生誕」(4基の鐘楼を含む)完成:1935年
---西正面「受難」(4基の鐘楼を含む)完成:2008年
---南正面「栄光」(4基の鐘楼を含む)、マリアの塔、福音書家の塔及び、中央塔の完成予定:2026年らしい

※1883年、アントニ・ガウディー(1852~1926年)がバルセロナ司教区の建築家フランシスコ・デ・パルラ・デル・ビリャール・イ・ロサーノから建築設計主任を引き継ぐ。当時31歳。
※2005年、地下礼拝堂と誕生のファサードのみ、ガウディーの作品群として世界遺産に登録。



さて、ガウディーはこの教会を大きな楽器に仕立てグエル公園までその鐘の音を響かせよう、と構想を練ったのだが、その具体的な仕様はどういったものだろう。私はてっきり、既に決まってるものだと思っていた。

しかーし、なんだか未だにはっきりとしてない、というではないか!

ガウディー作品の実測をして研究している建築家の田中裕也さんのルポ によると、ガウディーが構想していた鐘の形は「双曲面体」の筒状の鐘(円筒状の餅の両端をもって引っ張ると中央が細くなるが、そのような形)だという。
で、その鐘の全長が20m、幅が1.22m。さらに、一つの鐘楼にそれが7本、鐘楼は全部で12塔だから計84本も設置する、というものらしい。

アジャパー学ピカソ科-鐘楼
鐘楼内部

そして、実測好きの田中裕也さんが、実際に鐘楼の空間等を測ったところ、そんなドデカイ鐘はどうやっても入らない、構造的にもその様なドデカイ鐘を吊り下げるのは不可能だ、と結論にいたった。
現在はスピーカーから音をだしていて(私も2008年5月に現地に行って確認済み)、鐘の設置時期にいたっては不明。工事は鐘のことなんか無視して進行しているらしい。

ひぃ~、恐ろしい世の中です。

ガウディーが生前に完成した鐘楼は、誕生のファサードの"ベルナベの塔"ただ一つ。
ここに、実験用に作られた鐘が一つ残されているらしい。
ていうことは、ガウディーも鐘のことは「とりあえず、おいといて(無視して)」尖塔を設置したことになる。

ホント、どうするつもりだったんだろう・・・
後世に課題として残したのかね。
だとすれば、なんて、壮大な(無責任な)課題だ!(笑)

アジャパー学ピカソ科-建築当時
1915年当時

そういえば、2003年頃に現地のカタルーニャ工科大と九州芸術工科大(福岡市)で共同研究が始まったらしいが、進行状況はどうなんだろう。追跡したいと思う。


アジャパー学ピカソ科-双曲線
双曲線

アジャパー学ピカソ科-鐘
ガウディーが実験用に作った模型


アジャパー学ピカソ科-鳥瞰

サグラダファミリアに関しては、まだまだ問題点が一杯あるので、気が向いたらまた紹介したい。