『蓮華草の花冠』~むかしみた風景~ | 一寸笑閑話

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日常のなかの、考えや、思いつきを書き散らしています。

 もう何年見てないかな?

 30年近くもまえ、まだまだ田んぼも畑も 周囲にたくさんあって、今ごろの時期は、近所の田んぼは、一面ピンク紫色の、蓮華草(レンゲソウ)が咲いていました。
 
  蓮華草は、田んぼの肥やしになるため、わざわざ稲の収穫後、つまり秋にタネを蒔いています。蓮華草でないときは、シロツメクサ(クローバー)が、田んぼになる予定の草っ原に蒔かれ、ピンクと白の花畑になります。
  これを『緑肥』というのだそうですが、毎年、この花畑がとても楽しみでした。
  花冠をつくったり、走り回ったり、蓮華草の“みつ”を ちゅーっ と吸ってみたり(甘いんですよ!)…。

 幼いころの私は、とてもお転婆で、近所の家の生け垣を抜けて、かくれんぼや鬼ゴッコをしていました。
 
 やがて、蓮華草がその花畑ごと耕され、田んぼに変わると、こんどは網を持って、ザリガニやオタマジャクシを取って遊びました。

  先週末、外叔父が亡くなり、親族と お坊様との双方の都合上、葬儀が連休になりました。
 埼玉の豪農のひとりでもあった“おじさん”の 田畑からは、ありとあらゆる野菜が収穫でき、小さいころは、よく遊びに行ったものです。

 その“おじさん”の田んぼも、春になったら蓮華草でいっぱいでした。
 でも、蓮華草の花畑は覚えていても、“おじさん”の顔はハッキリ覚えていないのです。
 
  近年、もう周囲に田んぼはありません。畑は、ビニールハウス栽培の小松菜やトマト、イチゴなど農家が数件残るだけ。
  数珠玉をとってつなぎ、ブレスレットやネックレスを作って遊ぶことも、蓮華草の花冠を作ることも、できなくなりました。

  小4息子の塾の理科の宿題、『草花の写真を撮り、なまえを調べてくること。見つけた数だけ、ポイントをあげよう』・・・。
  ハルジオンやクローバー、タンポポなどの草花は、公園に行けば見つかりますが、スミレや蓮華草、土筆(つくし)は、近所で見つけることができません。
  ツツジやサクラはどこでも見かけますが、バラや雪柳、マーガレット、チューリップ、パンジーなどは、実家の庭にあったので、休日を利用して撮りに行きました。
 
    昔は 帰ってきて、図鑑を広げて ひとつひとつ調べたものですが、いまはその反対、図鑑で調べたものを探しに行きます。
  雑草ひとつにしろ、オオバコで茎相撲したり、笹舟を作って田んぼの水路に流して競争したり、草笛を鳴らしたりすることも、なくなりました。

  転勤して島根県や千葉県にいたころは、それがまだできましたが、ここ埼玉の都心に近いところだと、その辺にしゃがんだだけで、不審者扱いですし、葉っぱをむしろうもんなら、たちまち咎められます。

  遊ぶ、といったら、遊具かゲームしか知らない子どもたちを、外へ連れ出す努力をしたつもりでも、それでも 私の小さいときのような体験をさせてあげるのは、困難でした。
  その辺で学校帰りにできたことが、探さないとできない、というのは、さみしいことだな、と思います。

  きれいに整備された生け垣や花壇よりも、蓮華草やシロツメクサの花畑で花冠を作れることが、どれだけ有意義だったか、いまになってわかるというのも、皮肉なことです。

  かつて 徒歩でみた風景を、私はいま、車で通り過ぎている…。

  表面上は、ささいな違いですが、中身は なんと違うんだろう、と、思いました。

  “おじさん”の顔は、おだやかだった、と 通夜に行った両親がポツリと話をしていたことから、蓮華草を思い出しました。