『1億2千万分のキセキ』 | 一寸笑閑話

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 さて、受験も終わり、ヒマ見ては書いておいた記事を順次アップしていきます。
 今回は 私の父方の話を…。

 『こだまして 山ほととぎす ほしいまま』


 一昨年亡くなった祖母が大好きだった句です。もうひとつ、祖母は好きな句があって、古びた扇子の裏に、書き付けてありました。


『花衣 ぬぐやまつはる 紐いろいろ』


 両方とも、大正女流歌人として有名な、杉田久女の代表句です。
 杉田久女は、私の父方の親戚にあたります。その生涯、気質、ともに独特で、小説のモデルとなったり、何度もドラマ化されたりしています。


 祖母は、久女が病で実家に里帰り静養中、一緒に過ごした時期がありました。祖父が久女と 親戚同士であったため、話をした、といいます。
 
「賢い女性だったわよ。…でも、好きにはなれなかったわね、いつも鼻で笑われた」

 祖母は、長野県出身です。曾祖母は、もと武家の姫君でしたが、曾祖父と駆け落ちをし、一代で商売を始めた人で、一本筋の通った女性でした。
 曾祖父の道楽のひとつに、カツドウ(活動写真、むかしの映画)があり、当時としては珍しい、フィルム撮影をしていました。

 祖母が亡くなったとき、その遺品整理をしていて出て来たのが、そのフィルムなんですが、ボロボロで光が当たりすぎて 半分とんでたので、プロの業者に頼み、DVDに焼いてもらいました。

「おまえの祖父さまはね、商売で山を越えるとき きまって狐に化かされそうになったんだよ」
「えー? それで どう化かすの?」
「女の人になって誘ったり、山道に茶屋を出して 泥団子出したり、そりゃあ 人間をばかにするのさ」
「それで? じいちゃまは どうやって逃げたの?」
「こう、岩に腰掛けて、ぷかーっと、キセルをふかすとね、一気に 幻から醒めるんだってさ」

 幼い私は、祖母の語る 曾祖父の話を よく聞いたものです。
 曾祖父のキセルは 祖母が 仏壇の奥にしまってあって、2回くらいしか 見たことないんですけどね。

 そういう昔話みたいな 時代の風景が、曾祖父のフィルムには映っていました。

 昭和はじめの、長野県木曽谷と、松本の町並み。

 そのなかには、小学生の父が まだ幼児の叔母を抱いた若い祖母と 花見の席で 笑っていました。

 満開の桜が ひらひら舞うなかで ゴザを敷いて酒を酌み交わし、屈託なく笑う周囲の人々のなかに、祖父や曾祖父が ちらりと 映っていました。
 祖父も曾祖父も 私が生まれるまえに他界してますから、写真でしか見たことありません。
 映像のなかで動いて笑う二人をみて、言いようのない感動がありました。

「…オヤジ…!! …じいさん!」

 それは父も同じだったに違いありませんでした。
 父は、祖父の写真を一枚も持っておらず、遺影しか知らない、まさしく『瞼の父』でしたから、無声とはいえ、50年以上ぶりに会って、感無量だったと思います。

 旧きよき時代の想い出は、出征していく曾祖父の姿と、汽車の出発する様子で、フィルムが切れて、おしまいです。
 
 歴史のなかでは、小さな点にも満たない、、その点らしきものをを拡大、拡大で 進んでいくと、曾祖父の物語があるわけです。

 星の数ほどの人がいて、
星の数ほどの出会いがあって、
星の数ほどの物語がある。

 日本でいえば、1億2千万のキセキ(奇跡・軌跡)。


『出会いは、億千万の~』なんて、歌、ありましたっけね(笑)


 ひいじいちゃまと、ひいばあちゃまが出会って、ばあちゃまが生まれる。
 ばあちゃまとじいちゃまが出会って、父が生まれる。
 父と母が出会って、わたしが生まれる。
 わたしと主人が出会って、わたしの子供たちが生まれる。
 
 …ヒッグズ粒子のように、ぶつかった範囲で広がる世界だな、と思いました。

 (^_^)/