しばし妄想過去旅行をする~高知編③ | 人生の歴史を動かす運命思想家 檜原有輝ひばらゆーき

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姓名判断、四柱推命、カバラ数秘術、宿曜占星術。
あらゆる占術学問をもちいて「誕生」「人生の道中」「終末」まで貴方の人生を支えます。

妄想過去旅行③です。

最初から見るのはコチラ


安芸市にあります。

「岩崎弥太郎氏の生家」
行ってきました。


ドラマよりも(ドラマ酷かった)立派。綺麗で

昔の風合いを大切に保管されているという感じ。


 

弥太郎氏の生家家

ところで偶然にもここで
先祖代々で岩崎家を管理している方とお会いました。
代々の岩崎家について色々聞かせていただくと…


そこで衝撃の事実
が!!!

ドラマでは龍馬と弥太郎は幼なじみ。
…のはずがΣ(・□・;)違うのですって。

弥太郎が、武市半平太氏と
おそらく直接的に会ったことはないだろうと。

えーーーーー!!!!

実際にこうやって来てみると
「龍馬の生家」と「弥太郎の生家」が
あまりに距離が離れている為におかしいと思った。

ドラマでは徒歩圏内の設定でしたからね。

恥ずかしながら、歴史に無知な私は
二人の存在を
知らず驚きです。


すべてお聞きした貴重なお話を書いています。
なんだか備忘録として残しておこうと思いました。

龍馬氏と弥太郎。
二人が出会ったのは長崎。

弥太郎が土佐藩からの会計士として
海援隊で仕事を依頼されてからだった
そうな。


そして酒を酌み交わす仲間であったことは、
弥太郎氏の日記にも綴られており、
龍馬との最後の別れになった時には…

暗殺を予知していたわけでもないのに
弥太郎は、なぜか一筋の涙が流れた。
その不思議を
日記に綴っていたらしい。

弥太郎は、母上系が医師、学者。
本人は三菱創業者ですが、実は商売ではなく
もともと学者として身を立てたかったそうです。


ドラマでもありましたが、
元々は岩崎家は侍で、階級を落とされたことが屈辱。
弥太郎が必死の思いで
郷士株を買い戻したとのこと。


しかし母からの教えで。
富がある時にも
貧しき時のことを
決して忘れるべからず。

その教えを忘れないように
江戸へ引っ越す時には初心を忘れまいと、
この家で使用していた蚊帳を
持って行ったそう。


弥太郎氏の一家は
結束力が非常に強かった。

弥太郎氏が病に倒れた時も、
長男が留学に行っている間には
弥太郎の
弟が会社を切り盛りする。

長男が帰ってきた際には、
弟さんはさっとその座を退いて
長男にあとを譲ったそうですね。

大河ドラマでは弥太郎は
ちょっとお茶目な役どころ。

でも実際はそうではないらしい。
確かに名前で見てもそうではないもん。


それはそれは岩崎家にとって
頼りになる息子であったそう。

以下、ちょっとお話を聞かせていただいた方たち
大河ドラマの脚色に相当お怒りになっていました
(*v.v)。


ドラマで描かれたいたような弥太郎の家は
吹きさらしに近い家でみすぼらしさが売りでした。

しかし実際は、元武士階級として立派。
拝見しましたが武士階級としての家の造り。
これが一つ一つ残っていて素晴らしかったです。


弥太郎という人は
肝っ玉も強く、
山間の日暮れが早くて皆が怖いというなか。
山頂にある神社に真っ暗闇の中へ
行ってきたという証拠を残して来たり。

当時は、村にとって、とても貴重だった
薪木を
泥棒をしている奴がいるらしい。

そう村が困っていると、
弥太郎が
じゃあ山に行って
わしが泥棒を捕まえちゃる!

行って夜中に張っていたら
そこで見たのは
ヨボヨボの老婆が、一つ一つ
薪木を拾い集めているのに弥太郎氏は驚いて
結局は一緒に集めてあげて、
薪木を背負って老婆を家まで運んであげたという。


父上が上士に瀕死の重傷を負わされたときに
役所の楽額をしたのは本当らしいですが…

しかし一回目は
役人さんが消してくださり見逃してくれたらしい。

だけど弥太郎は二回目もやって(笑)
どうしても腹の虫がおさまらなかったよう。
そして投獄されては、そのあと出獄後も
実家には
返してもらえず苦労したらしい。

商売が成功した後は
維新後、国のために大金を寄付している
(現在の東京が買えるぐらいのお金)
国からの礼品も残っているそうです。


しかし大きい事業取引の中、
外国とのやりとりも
落ち着かずにかなり心労
ストレスがあったらしい。

その中でも弟さんの助けなどは
かなり大きいかったそうですね。

ほとんど、国の為、人の為に人生を費やし
実際に弥太郎本人が自分の
思うとおりに
仕事をできたのは
人生の中でたった八年くらいだったそう。


51歳という若さで癌で亡くなるも
死ぬ間際に
「わしはやりたいことの十分の一もしていない」
無念の言葉を残したそうな。


財は築けども、弥太郎は
この家で
家族みんなと暮らした
この貧しかった時期が
一番
幸せだったと言っていたそうです。

岩崎家は、それを忘れないためにも
絶対に「この家を取り壊さずに守っていこう」
そう決めて
今日に至るとのことでした。


ちなみに
お話をしてくださったのは先祖代々
岩崎家とは
隣人近しきお付き合いをされており
岩崎家の依頼を受け管理をされている方でした。
とても上品で厳かな方たちでしたよ(ご夫婦)


あのドラマではかなり
貧しい家の作りをしてたので
今でも観光に来た皆様が、生家の前の公衆便所が
弥太郎氏の家かと思われたりして憤慨されているそう。


私もビックリしたもん。


観光客が、ドラマの龍馬の真似をして
「おい弥太郎!」とヤジを飛ばしてみたり。
それは失礼なお客様もテレビの影響で増えたとか。

私も本当に来てよかったですよ。
事実は来てみないとわからないものですね。


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