愛という厄介なもの。 | 人生の歴史を動かす運命思想家 檜原有輝ひばらゆーき

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姓名判断、四柱推命、カバラ数秘術、宿曜占星術。
あらゆる占術学問をもちいて「誕生」「人生の道中」「終末」まで貴方の人生を支えます。

運命学問研究家の檜原有輝です


Dr倫太郎の最終回をご覧になりましたか?

堺雅人さんが精神科医として
患者さんの心に寄り添って治療をする物語。





蒼井優さん初め、大御所たちの迫真の演技もあり
内容はゆっくりですが、、、
精神病に寄り添う医師の姿を丁寧に描かれました。


最終回に堺さん演じる
日野倫太郎先生が学生さんたちに講義をします。
(少し語尾、接続詞をわかりやすく変えています)


「治療者の心得」出発点としての共感より

ものすごく心が傷ついたり愛情不足のために、心の病に陥った人の多くは、薬やモノの見方を変えて行くような治療だけで治らないものです。そういう場合、治療者が共感的に寄り添うことで患者さんの具合が少しずつ良くなっていくことは珍しいことではありません。


心の治療とは症状が良くなることで良いのでしょうか。それだけではなく、患者さんをより幸せな人生へと導くべきではないのでしょうか。患者さんの寂しさや悲しさを少しでも減らすために治療者は何が出来るでしょうか。


雨が降る日は傘に。
雷が鳴る日は包み込む毛布になるために。


僕たちには一体何が必要なのでしょうか?

これは治療者に限らずのことです。
「人を愛し、幸せにしてあげたい」と思う人すべてに
共通する人生のもっとも難しい課題なのかもしれません。


というのは厄介なものです。
自分の思うままに抱きしめても相手は痛いだけかもしれません。

愛は執着だと言う人もいます。
男女の愛も、家族の愛も、美しいだけでなく、
非常に危険なものになってしまうときもあります。

僕も精神科医として未だに迷いつつ、
患者さんと日々向かい合っています。

しかし真の愛情がなければ、やはり
人を救うなどどという大それたことは出来ません。

人を救い、人を癒すのは
やはり最終的には「愛」しかない。

本気で人を愛することが
必要なのだと…僕はそう信じています。

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私は精神科にいたとき。
正直、恐ろしいものを見たと思いました。

それは患者さんではなく
医療者のえげつなく濁ったエゴです。

何かと人間は生きる上で難しい要素を持っています。
それは運命かもしれないし、育った成育歴かもしれない。
そして病気かもしれない。でも一つくらいは皆が持っています。
普通の人など存在しません。完璧な人間も、完璧な人生もない。

それだけ個性をしっかりと持っている。
でも調和をとるために社会常識があるのです。

そのことを知らない医療者が多いことに衝撃でした。

なんでも生きる難しさ苦しさを訴えれば、すぐ病気にされる。
すぐに薬を打たれる。すぐに病名がつき生涯影響を受ける。
それが私の印象です。


これは何が原因でしょうか。

医療者たちの
感性、経験、人としての思慮が狭いことが原因です。

患者さんの気持ちを想像することが出来ないから
心を通わせる気持ちが初めからないから
病気をみくだしているから
見下している自分に気づいていないから


私は患者さんすべての人や症状に共感をすることは出来ないも
大抵のことは自分に共通する部分を見つけることが出来ました。

寂しさ、孤独、裏切り、嘘、不幸の連続、心が通い合えないもどかしさ。こういうものって誰でも経験していることですよね。この流れにたいして感情的になり過ぎず社会的な対応が出来るか出来ないか。これで病気かどうかが疑われるのですね。

一時的であっても自分を社会に沿わせられない対応をすれば
それが問題になれば、いわば患者さんにされてしまうのです。

怖い世界だと思いました。
(すべてではありません、きっと)


上記の日野先生のようなお医者さんはいたと思います。でも強い患者さんから強いストレスをまともに浴びせられるので真剣に向き合い過ぎて心を病んでしまう医師も少なくありませんでした。自分も薬を飲んで調整しながら医師を続けている人も。そう言う人をヒソヒソと陰口をいうスタッフたち。とっても優しい先生でしたよ。優し過ぎるから苦しむのですよ。

支える看護師、事務。わたしが見た限りでは悲しいくらい歪んだ価値観で、人として患者さんより恐ろしい人たちだと思った覚えがあります。温かさは感じますが、それが歪んでいるので、伝わる優しさがとっても居心地の悪い物だったことを覚えています。


というのは厄介なものです。
自分の思うままに抱きしめても相手は痛いだけかもしれません。

これは看護師、介護士にも深く深く共通することです。
ハッキリ言って知識が追いつかないから「愛情」を押しつけている。
そのことに気づかない人が多いのです。

「こんなにしてあげているのに」


そうやって口にすることの怖さを知らない。

うっかり弱さなんて見せると面白がって
病気にさせられるので怖くて本音で話せません。

そして患者さんとの境界線を越えては
相手の領域を荒らしてしまってエゴに浸る。


そう言う世界を見ると辟易します。


人は人を見下していきる、生き物なのでしょう。
それは否定はしません。誰しも同じ経験はあるはず。
でも時には振り返る必要があるのかもしれません。


自分たちが愛やエゴを押しつけてはいないか。



これは私見なのであしからず(。-人-。)


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