どうも、まみちです。世の中の書かないといけない話はおいといて。


12月18日は、私が暗黒時代の間もずっと聴き続けて、助けてもらっていたアーティストの一人、宮内さんの命日。

確か2007年に亡くなっているはずなので

仏教だったら十七回忌とかになるんじゃないでしたっけ。

 

でも、1993年にICEはメジャーデビューしているので、デビュー30周年とも言えるのですよ!


だから、こんなん歌いました!いつも通り、一人で(笑)ICEってなに?って解らない人も、まずは聴いてみてくださいよ

 

 

私の中では

 

オリラブと並ぶシブヤ系二大推し

 

だったのですから(当時はそんな言葉なかったが)

 

ミレニアムが近くなると、なんだか世の中がトチ狂ったようになっちゃって😔

80年代とはまた違うユーロ、ハウス、トランス…と、ただ喧しいだけの曲が流行り

テレビでは「ドレミファソ」の中でしかメロデイが動かないような、小室サウンドとかが大流行でしたが…

 

私の現実はどんどん暗黒化が進み、ココロを殺して、ただただ家賃のため、食費のために働くしかなくなりました😭

 

最終的には音楽だけでなく、日本語聴くのも嫌になるほど闇化が進みましたが(笑)


そんなときも、このICEやORIGINAL LOVE、そしてジャズっぽい初期のサザンが私を支えてくれました。

音楽は本来気持ちいい、美しい、そして魂を震わすものだって。


何年か希少がんと闘いながら音楽活動を続け、

2007年には43歳の若さで亡くなってしまった宮内さんですが、亡くなるその年に

ICEのユニットのパートナーでありヴォーカリストの国岡真由美さんと結婚しています。

 

でも、こからは勝手な私の憶測ですが、

これはヴォーカリストの国岡真由美さんとICEを護るための、同志婚みたいな感覚なのかな、と。






法律上、楽曲制作者と歌い手がもらうお金は全然違いますからね。

ICEはユニットだったから、宮内さんが采配できるうちは国岡さんを守れますが

そうじゃなくなったら版権や楽曲利用の考えなど相続した人の自由になってしまう。

 

だから宮内さんと国岡さん二人で「ICE」なんだから

二人の子供みたいな「ICE」の世界観と、国岡さん自身を護るために法律的にも堂々と相続させたかったんじゃないかな、と。そして

 

自分が居なくなってもICEの中で永遠に生き続けさせてほしい

 

という願いも込めて。

 

事実、国岡さんはその後もソロで「ICE」名義の活動をしているそうです。

 まみち🧚‍♀️💫オススメはこの辺かなー。





彼が遺してくれていた音楽センスは、30年前からカッコよく、それは今も色褪せないばかりかICEをリアルタイムで知らない今の若手アーティストたちにも、間接的にエッセンスとして受け継がれているはずです。

 

ま、なんだかんだ言って、私の場合。

ほんとうに好きなものに出会うまでは探し続けるし、代用品は要らないというタイプですから、いざ見つけてしまったら永遠に愛し続けていくし

「これ、今はやってるのカッコいいでしょ!」とか言われても

「ケッ そんなんとっくの昔にシブヤ系がやっとるわ」

とか変なヤキモチやいてしまうのですが(笑)

 

 

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