自分が病人でありながら
レビー小体型認知症のオカンと同居している私は、
たまに
「お母さんを大事にしぃや」
「親孝行、したい時に親は無し、やで」
と言われることがある
しかし鬼娘を公言している私は
そういう人にぶち当たる度、反射的にやり返してしまう。
もう十分やりきりました
とか
私に
ライフリーの桃ちゃん要素まで
求めないでください
と。
だって、そういう人は大概
親が長患いしないPPKだったか
盆暮れくらいしか、同居していないか、だからである。
四六時中一緒にいて、
自分の時間も、人生も
すべて捧げて親を看取った人で
そんな事を言う人に出会った事がないからだ
居たとしたら、それはそれで
病んでいる。
あとが大変な人だと思う。
重たい話だから、BGM入れとくか。
親子関係は、人それぞれ違うし
貰った分しか返せないもんだと思う
うちは皆のように
小さい頃、親に世話を焼いてもらい
自分が親になったら、有難みが分かったわ~
みたいな家庭ではない
うちの場合は、父親は自己愛性人格障害のモラハラ親父。
母親は、友達として客観的に付き合うなら可愛い人だが
しんどい事からは目を背けて、人に依存して責任転嫁する、昔世代の小悪魔的ズルい女だ。
私はそんな2人を、親として、大人として
失望しながら小学生を過ごした。
失望して信頼しなくなってからの私は、自分の思うような人形にしようとする
両の親に抵抗した。
すると、この二人は子供として可愛げがないと言いつつ私を大人として利用した。
私はティーンになった頃から、
家事も、家で必要な事務や管理をすべて押し付けられ、家族や親戚の揉め事の仲裁にも駆り出された。
いわゆるヤングケアラーのはしりである。
成人して仕事を持つようになっても、病院の付き添いや、入退院と体調管理に駆り出され
それで気に入っていた仕事も
「いつになったらフルで働けるの?当てにならない」とクビになり
終いにゃ、
モラハラ親父との離婚裁判の段取りや
病院からシェルターに一時避難させる段取り、
夜逃げのための荷物作りも、
私が母子二人分をすべてやった
それで親父を排除してからの何年間かは、母親が穏やかに暮らせる時間を作ってやった
だから親孝行は、それで十分やろ、と思っている。
あたしが昔から、機械や社会の仕組みにも詳しく
マルチタスクなのも
すべては
家族や側に居る人が
アテにならないばかりか
仕事や面倒を増やす者ばかりだったから。
機械の方がよほど頼りになるからだ
加えて、生まれつきの問題で
わたしの身体がいずれ、
使いもんにならなくなることは
若い時から自覚していたし
長持ちするよう身体のメンテナンスには気を使いながら乗っていたつもりだった
しかし、そんな私の努力を知らず
心身ともに「まだやれるやろ?」という者たちや
色んなものが覆いかぶさって来た
私が潰れたら、自分でやったり
何ならそれ自体を諦めてもいいような事まで
押し付けられていた事に気付いても
もう遅い
私の心身は元には戻らないし
時間も戻らない
長年のキツイ生活でいまの私は
持病の自己免疫疾患に加え、心身症や、がん、
バセドウまで抱えている
そんな私にいま、
オカンのカオス(認知症の)
と、それによる怪我
→家事全般とオカンの食事の支度
と言うプレッシャーがのしかかっている
なぜプレッシャーとまで言うか、というと、うちは小さい頃から食べたいときに、食べたい者が作りタイミングが合えば
「食べるんやったら一緒に作るけど?」
という「ついで制」の同居人システムだからだ。
私の身体が、良くなったわけでは決してない。
今も、ある時間帯や、なんか作業する度に手と足は赤くパンパンに腫れ、ジンジン痺れる。
なのに「膝から下が無くなった⁉️」ように、冷える場所は感覚が無くて、
汗かいたり寒くなったりで寝るのもままならない時も多い。
今までは、歌や文章など
自分がやりたい事に没頭することで、身体の痛みや、生活の現実の痛みから目を背けて凌いできたが、バセドウ病は集中力の持続も邪魔するらしい…
さいきん、ふと思う
いつか私の時間が戻って来た時、
私の身体にやりたい事をやる機能が残っているのだろうか、と。