こんにちわ、まみちです٩(ˊᗜˋ*)و
初めての方も、おなじみさんも
気まぐれ更新のこのブログを読んでいただきましてまことにありがとうございます。

大きなターニングポイントになった1995年の2つの出来事②-THIS IS ME- の続きでございます。 事件の詳しい話は、他にお任せするとして。 私がお話したいのは、この地下鉄サリン事件が私にどんな影響を与えたか、ということです。

 

 立ち入りを許されてから、周辺の人たちからの証言や、現場近くの様子などを取材に行きましたが・・・

 

それはもう、ショックなんて、かんたんな一言では済まない。

 

なんだろ・・・自分の見ているものが理解できないというか。

 

津波や地震みたいに、外側も被害を受けていて崩れているなら頭で理解できるんです。

 

だけど、地下道は普通にあるのに、

 

その中にある公衆電話や、券売機などの一部がダラ~ンと溶けたように変形していて・・・

 

取って付けたような、どっか違う世界から持ってきたような違和感があって・・・

 

間違い探しの映像を見ているような感覚というか・・・

 

その時にふと浮かんだのは昔読んだ「中性子爆弾というものが落ちたら、どうなるか」という本のことだったんですよ。

 

その中に「中性子爆弾が落ちたら建物や機械はそのまま残っていて使えるが、生き物は跡形もなく消え去る「という話があったんですね。

それを読んだ時に、寂寥感、荒涼感みたいなものを感じて、なんかよく解らない怖さを感じて。

 

ゲームのバイオハザードとか、サイレントヒルの映像もハッキリ浮かんで、あんな感じなのかな・・・て思って益々こわーってなったことを、覚えていたんです。

 

話は脱線しますが、たまに究極の選択であるじゃないですか。

 

もし地球が滅亡するとなったら、自分だけでも生き残りたいか。それとも皆一緒に死にたいか、みたいな。

 

あれ、わたしはぜったい、お手々つないで滅亡派なんですよ(汗)

 

想像しただけでもゾッとします、人の息遣いがまったく感じられないゴーストタウンに一人取り残されるなんて。

 

一般開放する前に取材で入らせてもらった地下道や駅構内で、私は、私が生理的に「ひーっ」となる空気を、感じてしまったんですね。

 

 

今から考えると、もう時から私の心はかなりのダメージを受けていたんだと思います。その当時はまだ知られていなかったけれど、後に調子を悪くして精神神経科の先生に相談した時に「PTSD」という言葉を教えてもらいましたから。

 

余談になりますが、私とこの1995年の2つの事件取材をきっかけに、マスコミやテレビ業界を辞めた、とか田舎に帰った、という人が大勢いたようです。

 

そのちょっと前には子供の頃から歌劇を見たりファミリーランドに行くために通った阪急宝塚沿線や、お買い物に出掛けた三宮や大阪の街が、地震でひどい姿になったのを見、その粉塵なのかホコリ臭い空気も実際にかいでいたし・・・

 

 

阪神淡路大震災の時は、ショックはショックでも、訳の解らない動機息切れめまいに襲われることは無かった。

 

あれは天災だったし、みんなまず頭で理解出来た。

 

そして生き残った人々は「しゃあない」という感覚で、なんとかして生きていく道をまた模索しようとしていました。

 

関西人特有の、人と喋ってたら「笑い」という娯楽を生み出す力もあったし「泣いとってもしゃーないやろ」という言葉があちこちで聞こえて、取材に行ったこっちが元気をもらったくらいで。

 

でも、地下鉄サリン事件は全然ちがった。

 

基本、現場が地下鉄の電車そのものと構内だから、いつもは人でゴッタ返しているのに、事件があってから、そこだけがまるで中性子爆弾が落ちたのか、世界から取り残されたように空虚と化していたんです。

 

人の息遣いがまったく感じられなかった。

 

パニック映画のセットみたいだった。

 

でも、同時に恐ろしさを感じたのは、同じ次元の中にスポイルされたような空間が出来たこと。

 

実際に被害に遭ってしまった人は、この路線をずーっと乗って行った先の病院に入院している。

 

もちろん現場も、その途中にある。

 

なのに、まだ調査のため人が立ち入れない区画を残して、そこ以外の東京の街は、何事も無かったかのように毎日の日常機能を取り戻していたんです。

 

 

 

あの地震の被害とは、質が違う。

 

事件そのそものも、この東京の街も。

 

 

みんなで被害にあって、みんなで立ち直ろうとしている阪神淡路大震災と違い、ここではあの事件に遭遇してしまった人や関係者は、その時点でスポイルされて、あの空虚のような地下鉄構内の、あの時間に取り残されているんだ。

 

 

 

違和感というか、虚無感というか。

 

被害に遭ってしまった人は、運が悪いとして

 

流れているコンベアから振り落とされてしまったんだろうか・・・

 

 

じゃあ、あの人たちと自分は違う、と誰がどういう根拠で言えるのか。まだ、その時点では誰が何の目的でやったことなのか、なんにも解っていないのに。

 

そんな変な感覚を持つのは、もともと私が人より敏感に感じてしまったり、考えてしまう性格だからか

 

それとも、ただすぐに自分がその人の立場だったらって、

 

考えてしまう面倒くさい性格だからか・・・

 

 

 

モヤモヤを抱えたままのわたしは、後に見たテレビの映像をきっかけに、感覚に襲われるようになるのです。

 

サリン事件の詳細や背景がテレビで報道され続け。

 

なんとかサティアンに大規模な捜索隊が入るのを見ていた時も、私が反応したのは、あの事件直後に霞が関周辺で見かけたオレンジ色のこんもりした宇宙服。

 

後に、それは化学機動中隊というバイオテロに対応する部隊だったことが解りましたが、テレビであれを見るたびに私は これ映画? アニメ? て何度も自分で確認していたぐらい、今見ている現実から乖離し始めていたんです。

 

つづく