The Cherry Orchard
PARCO劇場開場50周年記念シリーズ
2023年9月17日(日)13時開演
新歌舞伎座

キャスト:原田美枝子、八嶋智人、成河、安藤玉恵、川島海荷、前原滉、川上友里、竪山隼太、天野はな、永島敬三、中山サツキ、市川しんぺー、松尾貴史、村井國夫
演出:ショーン・ホームズ
翻訳:広田敦郎
作:アントン・チェーホフ

原作は読んでいません。
数年前に三谷版の舞台は観ました。
全体的に暗い照明、重い空気、その中で不自然に明るく気位の高さを示す女主人ラネーフスカヤを原田美枝子さんが見事に演じられていました。

全世界で幾度となく上演され続けている原作、今回の作品はロシア語の原作の逐語訳英語版(ヘレン・ラパボート訳)を元にサイモン・スティーヴンスが翻案した作品を広田敦郎氏が日本語訳にしたものだそうです。前回私が見た三谷版は三谷幸喜さんが翻案及び演出をされた作品だったので、物語は同じでもその印象はずいぶん異なりました。
演劇における台本や演出の力はかなり大きいことを改めて感じました。

舞台はサクランボの季節のロシア、古くから「桜の園」と呼ばれた広大な土地に建つ屋敷。
物語はその領主ラネーフスカヤが久しぶりにパリから「桜の園」に帰ってきたところから始まる。
彼女を、家族や地元の友人知人が温かく迎える・・・が、彼女が帰ってきた理由は、かつて栄華を誇った一族が抱えてしまったどうにもならないほどの大きな負債解消にあたり、この「桜の園」を処分する相談をするためだった。
すでに銀行は競売にかける準備を始めている。
近隣の百姓の子から実業家にのし上がったロバーヒンは、桜の木を伐り、別荘地として貸し出すことで競売の道は避けられるとラネーフスカヤに進言するが、彼女とその兄ガーエフは取り合わない。
彼らはかつての自分たちの栄華からその意識を変えることができず、何もかもを楽観的に捉えており、桜の木がない桜の園を受け入れることもできない。
彼らが不毛なやり取りを繰り返す中、その周りの人々はそれぞれのこれからの人生について考え始め、いくつかのドラマが静かに繰り広げられる。
そしてついに競売は実施され・・・、変革の波を見据えて新しい時代を生きようとする者、過去の栄華にすがり現実を見ることができずに立ち止まり取り残される者、すべての者が「桜の園」を去っていく。

パンフレットからこの作品を執筆された頃のチェーホフさんのコトを少し。
チェーホフの4大戯曲の最初は「かもめ」、そして「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」と続き、この「桜の園」で締めくくられます。
桜の園はチェーホフ42歳で構想、43歳で執筆、44歳で上演されたとのこと。
執筆中の43歳の頃、長く患っている肺結核が進行し、戯曲の執筆は難しい状況だったにも関わらす、1日数行の執筆を繰り返し仕上げたらしく。
1904年の7月に44歳で永眠、最期の言葉は「Ich sterbe(私は死ぬ)」だったそうです。
結核に罹る前、村医者だったチェーホフは結核に罹った農夫に「手の施しようはない」と言っていたそうですが、自分の病気には治る望みを持っていて、療養で良くなってきたと手紙に書いていたとも。
お医者さんで、作家で、享年が若いのに成し遂げたことは数知れず、社会に大きく貢献された人生・・・、自らを振り返るとホントに凹みます。まぁ、同じ土俵に立つなよ、ってことですけどね。

作品に話を戻して・・・、そんなチェーホフが最後の力を振り絞って書いたこの戯曲に、どんな想いを込めたんだろうなぁと思いながら、実は今一つ起こっている状況が飲み込めないままに鑑賞しました。
う~ん、先にパンフレットを読めばよかったな。
動きが少なく、長い台詞で繋がっていくお芝居なので、ちょっとうつらうつらしちゃったらもう、取り残されてしまいまして。
ホントにこの頃、よく舞台でふわっと寝てしまう。勿体ない。
そんな不甲斐ない私でさえ、引き込まれるような演技、やっぱり原田美枝子さんは存在感が違う。
すごくちぐはぐな、過去を生きる女主人が確かにそこに居ました。

八嶋さんは期待を裏切りませんが、今回はシリアスオンリーなのでちょっと勝手が違いました。
安藤玉恵さんもまた期待を裏切らない役者さんですが、今回はちょっと不安定な立ち位置の養女を素直な雰囲気で演じられ、好感が持てました。
シリアスな松尾貴史さんもまた新鮮で、そして上手い。
最後のシーンの村井国夫さん、謎の浮浪者の永島敬三さんが強く印象に残りました。
脚本も演出もその作品の骨子を確かに支えていますが、役者さんたちの演技もまた、作品を大きく左右するのは当然で・・・。

演劇を観た、と実感できるお芝居でした。