日本人のお友達ができて救われた 1989年、1990年〜 @NY | mamiのブログ

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20年来の大切な友人と別れました。
悲しかったけど、次のステップに上がる為には必要なこと。
悲しいことの後には、きっと!最高の幸せしかない!!!

大切な、大切な20年を綴ります♡

あくまでも回顧録
 

忘れないように書くつもりが、結局詳しく書けない事もたくさんだったので、

回顧録にしれっと変える(笑)

 

現在(2021年)のグーグルマップ見てみた。

黄色でしたところが1990年3月〜のわたしの部屋でしたー。

 

とにかく、この部屋に引っ越してからは毎日がパーティー音譜本当に楽しかった〜ラブラブ

 

13丁目(1st Ave)の部屋でのセリアとの生活は本当に地獄の日々だったから、(楽しい事もたくさんあったけど)

やっぱり日本人との生活は楽しいわ(笑)

 

 

NYで日本人とつるむ典型的な日本人生活(笑)

だって、わたしがNYに行った目的はレコード集めとクラブ活動だったんだもーん(笑)問題無し(笑)

 

この部屋探しの頃はまだ英語もカタコト。

不安なのでReal Estate(不動産)も日本人のところで紹介してもらった。

 

ルームメイトは外語学校で見つけたKちゃん。

 

引っ越しは1990年3月。

 

まずは2人で$1200の部屋をシェアして住み始める。

 

と、

 

 

この先はまずはNY生活で仲良くなった日本人の友達たちについて。(でもNYで知り合った友人、今でも連絡とっているのは4人だけかなー)

 

 

NYで一番最初に仲良くなった日本人は当時10代だった大阪出身のAちゃん。

ジャパニーズレストラン「淀」で一緒にウエイトレスをしていた。

彼女はNY在住の当時30代の彼(日本人ロックミュージシャン志望)と住んでいた。

 

この彼はガイド等もしていたので、長いリムジンで乗せてもらったりもしたなー。高級車に小娘3人めちゃめちゃ普段着で観光させてもらったわ(笑)

 

前にも載せたけど、ブルックリン・ブリッジ・パークに連れて行ってもらった時がリムジン観光。

(Aちゃんのお姉さんが日本から旅行で来たので観光。したがって私は棚ぼた観光(笑))

ワールドトレードセンターは懐かしい(涙)

 

 

そして、次に仲良くなる日本人は以前書いたけど。

学校帰りにフラッと行ってみた名前覚えてないレコード屋で会った。

2階にあったレコード屋の記憶。

 

その時のお客さんは、なんと私とその日本女性だけ。

 

NYなのに、店内に日本人女性2人って(笑)

知り合う運命だったんでしょうね。

そこで「もしかして日本人?」と声かけられて、お友達になった。

姉ちゃんって呼んで。と言われたので、その日から姉ちゃんと呼んでいた。

 

その日買った覚えのレコード

Inner City / Whatcha Gonna Do With My Lovin'   

 

(実際この日買ったのはDef Mixのではなかったんだけど、You TubeでDef Mix Remix見つけちゃったので(笑))

 

姉ちゃんも日本でDJをやっていたらしかった。

彼女はJamという名前の黒人DJとハーレムで一緒に住んでいた。で、初めてハーレム行った時の話は↓

 

 

その後、1990年5月に大阪からきた

日本でDJをやっていたというYちゃん(1号)と外語学校で出会う。

↑ わたし、Yちゃん(1号)、姉ちゃんの、日本で元DJ3ショット
ちなみにYちゃん(1号)はめちゃ可愛いです。現在繋がりがないので、顔出しお願い出来ないのが残念。相当の美人さん💗
 
2nd AVEフェスティバルの日
ダンサーの子達がストリートで踊っていました。
この頃はストリートでストリートダンサーチームがよく踊っていました。
 
 
大きなラジカセ担いでいるブラザーがわんさかいた時代でした。

 

 

今日は長くなりました。読んでくれて感謝です💗