なんだかんだやっぱり認められたいよね | 幸せな脳の使い方で、心豊かな人生を

幸せな脳の使い方で、心豊かな人生を

過食とリバウンドで20kg増減
自分大嫌いだった私が、脳、心、体のしくみを学び、自分と向き合うことで人生を大きく変えたその秘訣を綴っています。

周りから認められると嬉しい

ということは

 

認められるということで

何かしらの承認欲求が満たされるということで

人間は周りに認められることで幸福を感じる生き物であることは事実だ。

 

でも、この「認められる」ということについて

もう少し深掘りしたい。

 

例えば私が見てて違和感を感じる人は

(あくまで私の主観であり正しさではない、

私自身個人の一感じ方として捉えてほしい)

 

常に前向き前向き!

前向きに捉えよう!

私いい感じいい感じ、後ろは振り返らない!

ネガティブを感じたら、良い面を探そう見よう!

私のこと認めてくれた、やっぱ私は間違ってないんだ!あいつが悪いんだ!

 

というようなエネルギー。

 

この共通点はなにかと考えると

なんだかその人から無理感を感じる時だ。

 

この考え方自体がおかしいわけではなく

その人を否定的にジャッジ、評価しているわけではなく

 

むしろ私自身もそういう経験をしてきたからこそ

「心の本音と、思考の間に矛盾と乖離がある感覚」

これに今敏感に気づくからなのだと思う。

 

物事の視点を変えたり、見方を変えること

これは自分の人生を確実に大きく変えることだ。

 

だし、こういうことを私も普段講座や発信で伝えてる。

 

でも、冒頭で話した

「認められたい」この気持ちについて

もう少し深く分析して考えてみたとき

 

2つの「脳の前提」の違いがあるのではないかと気づいた。





 

「認められたい」そう同じように思い

満たされない人と、満たされる人の違い

 

それは、

 

相手は「敵」前提で世界を見ているか

相手は「味方」前提で世界を見ているか

 

やっぱりこの違いではないかと。

 

相手は敵前提で世界を見ると

 

相手は自分をどこか批判否定してるのだろう

相手は自分を攻撃してきてるのだろう

相手は自分を正そうとしてきてるのだろう

 

相手からどうされるか?

それに意識が集中するし

相手の言動により自分の感情が左右される。

 

一方で

相手は自分の味方前提で世界を見る

とはどういうことかというと

 

んー、わかりやすく伝えられないけれど

人間という生き物について理解しているということだと思う。

 

人間とは未熟であり

人間はどんな人でも様々な感情を感じ続ける生き物であり

 

こう感じたらレベルが低いとか高いとか

こう感じるのが正しいとか間違ってるとか

という視点がなく

 

また

こうあることが正しい、こうあることは正しくないとか

 

つまりは物事を

良いか悪いか、正しいか正しくないかなどの

二極化で見るのではなく

 

誰もが感じる感情や

誰もが考えるその考え方には

 

その背景や理由があり、そうなった過程、経緯がある

 

その部分はなんなのか?について

冷静に俯瞰して知ろうとできる視点があること。

 

これは、自分という存在も、他人という存在も

全ての人間に対して「対等」な視点で見ているということ。

 

対等ということは

言い方を変えれば「仲間」とも言い換えられると思っていて

 

周りの人間を仲間だと心で腑に落ちて捉えていると

批判とか否定とか見下すとかつけあがるとか

そういう概念が出てこない。

 

周りから認められても根底で満たされない人は

認められることで見下し感情が出てきたり、

私は「正しい」「間違ってない」の思考が出てきたり

 

やはりどこかでその人の世界に「敵」がいる。

 

でも周りから認められることで根底で満たされる人は

認められて安堵するというよりも

 

「分かち合えた」

「共鳴できる仲間に出会えた」

「輪が広がった」

「自分の役割をまっとうできた」

 

そんなふうに感じる。

感覚で言えば、横の感覚、横のつながりや広がり。

 

敵前提は、縦の広がり、上下の広がり、みたいな感覚。





 

なんて、これは単なる一人間のちっぽけな私の意見だが

でもこれまで満たされない承認欲求や執着と闘ってきた私なりに

色んなことと向き合って今心の平穏を保てている私が思うことを綴ってみた。

 

あーこういう話

ワイン飲みながら語れる人募集。笑

 

今日も新しい新感覚のワイン見つけてしまった♡

密かな幸せと共にブログ更新。




 

新年早々、決して喜べないニュースが続き

なんだか落ち込んでしまう、なんだか楽しめない

楽しむことに罪悪感を感じてる人も多いのではないかと。

 

そんな時こそ

無理に前向きに考えようとしなくていい。

 

そのありのままの感情と対話してみること

声をただただ聴き出してみること

その感情と正面から向き合ってみてあげること

 

それがあなたの心の平穏に向けての

一番の近道だと思う。

 

まずは

 

自分の問題は何か?

周り、相手、世界の問題は何か?

 

その境界線をしっかりと捉え

自分には何ができるか

何をする必要があるのか

 

何を本心ではしたいと思っているのか?

 

心の感覚に素直に考えてみること

 

こう自分自身とまずは向き合える人が増えれば

いち早く自分も周りも日本自体も元気になっていくのではと信じています。

 

何度も伝えたいことは

もやざわ感情、心のざわつきやそわそわや違和感

それらを感じる時は必ず

 

自分の本来感じていること、本音の中に

他人の価値観、他人軸が割り込んでいる時。

 

そこをいかに切り離せるか?

それが自分と向き合うということであり

自分を大切にする、自分を生きるということだと思うヒマワリ




 

真美