2019年、とても早く過ぎ去りました。
アッと、アッと、アッというまでした。
あなたの1年はいかがでしたか。
今年の年末年始は、休む間もなく卒論と戦っていました。この年末年始はお仕事です
今年の年末年始は、休む間もなく卒論と戦っていました。この年末年始はお仕事です
しかし、周囲の時が止まっているからこそ進めることができることも沢山あります。
そして、周囲の時が止まっているからこそ、私を必要とされる方もいてくださるのです。
昨夜、年内最後に長男と食事の約束をしました。
子ども達は二人とも年末年始にお家に帰りません。お仕事があります。
以前は、クリスマスやお正月などに、家族連れの姿を見るたび胸が痛い時期がありました。
そして、周囲の時が止まっているからこそ、私を必要とされる方もいてくださるのです。
昨夜、年内最後に長男と食事の約束をしました。
子ども達は二人とも年末年始にお家に帰りません。お仕事があります。
以前は、クリスマスやお正月などに、家族連れの姿を見るたび胸が痛い時期がありました。
独身の頃は、彼のいない行事など過ごしたためしがありませんが(笑)
パートナーという人がいないイベント時期なんてありえないと思っていたように思います
結婚してからは、夫の借金で心がいつも冷え冷えしていたので、仲のよさそうな家族を見るたびに胸がチクチクしていました。
離婚をしてからは、子どもたちと自分だけで過ごすこの時期、自分にはパートナーがいないのだとチクチク感があったように思います。
世の中にそんな感じの人は多いのではないでしょうか。
恋人がいないとチクチク
結婚しても家族仲が良くないとチクチク
子どもがいないということでチクチク
チクチク感があると、円満そうな夫婦や家族にコンプレックスを抱いてしまうのかもしれません。
そして幸せそうに見える家族を見るたびに「円満なのよーーーー!幸せなのよーーーー!」とPRしているように見えてしまうのかもしれません。
結婚教育を始めた当時、円満な夫婦や家族を増やし私のような孤独な人を少なくしたいからと確か思っていたように思うのですが・・・最終的に結婚教育に取り組むようになってわかったこと。
わたしの「家族に執着がない」という言葉は=「家族なんていらない」と言ってるわけではありません
・家族がいるのもいいし、家族がいないのもいい。
・パートナーがいるのもいいけど、いなくてもいい。
・子どもがいるのもいいけど、いなくてもいい。
家族っていいけど、家族以外もいい。
要は、夫婦や家族というキーワードに苦しくなくなったということです。
伝統的家族形成意識、家族単位の重要性、確かに尊いことです。
しかし家族の、夫婦の存在意義を我々は見直すべき時代にきています。
これからの時代は「家族」に変わる何か新たな関係性のあり方を見出す必要性を感じます。
ちなみに日本の殺人事件では同族間の殺人が半数を占めます。
アメリカだと約15%ですから大きな差です。
「家族っていいよね」という理想の形を守ろうとしすぎることにより、家族の中で起こる問題を外からは見えないように、息絶え絶えになりながらも閉鎖的な空間の中で子育て、介護、働かけない中高年層のこどもと息を殺すように暮らす人々。
「家族っていいよね神話」という重い荷物を背負いながら、家族という存在の苦しさから逃れるためには、自分たちで苦しみを終わらせるためには、家族を殺す終わり方でしか問題解決ができない人たちがおられるのだと思います。
長男と別れる時に、ブリーゼブリーゼのエレベーターの前で「今年も一年ありがとう」と話しかけました。
「いえ、こちらこそ」27歳の長男はそう答えます。
「良い年を迎えてや。来年も良い年にしようね」
「はい、ありがとう。がんばります!」
そう答えた長男とお互いに堅い握手をして別れました。
姿が見えなくなるまで、見送っていると長男も笑顔で2度3度、手を振り、頭を下げていました。
姿が見えなくなるまで、見送っていると長男も笑顔で2度3度、手を振り、頭を下げていました。
いつも子供たちと交わす言葉は「お互いに良い人生にしよう」です。
長男から私の誕生日に来たLINEです。
そんなこんなを思いながら、来年を生きる私は、どんなテーマに生きようかと考えていましたが、答えが出ました。
日日是好日
一般に私達が、今日を良い日だ悪い日だという場合、天気が良いとか悪いとか、お金が儲かった、損をしただとか、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そんなものさしで判断します。
しかし、これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方と言えるのではないでしょうか。
それではたとえ、ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければなりません。
「日々是好日」とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。
たとえば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日なのです。
好日の好は「好悪」の「好」ではなく「嵐か、よし、嵐なにするものぞ!」「失ってしまったか、よし、どうにかこれを改善しよう!」と、積極的に生きる決意 "よし" がこの "好" を指すようです。
過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりするのではなく、目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きること。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはず。
この日々是好日という考え方こそ、結婚教育の4本の柱とも言えるフロー理論の在り方と考えます。