昨日ペットロスの悲しみについて書いた。
今まで私は心理学やその他の観点から「語った結果、知識として誰かの役に立つもの」を意識してこのブログを書いてきたが、昨日のは完璧に私個人の「嘆き」だ。そして私は、特に見ず知らずの他人がそんな見たこともない他人の「個人の嘆き」を読まされたところで「だから何?」とか、せいぜい「へぇ、お気の毒に」としか思わないだろうし、思えないだろうことを知っている。それでも書いた。なぜか?
まさに個人的に自分を癒すためだけに、である。
カウンセリングの世界では心に溜めたストレスは吐き出すにかぎる、というのが常識である。(「八つ当たり」というのがある。あれは人に迷惑をかけるが、まさにストレスのセルフケアの典型的なものである。)
だからカウンセラーという職業が成り立つ。カウンセラーの最も大事な仕事はクライアントの話を聞き、胸の中に溜まったストレスを吐き出させ、気持ちをラクにさせてあげることにあり、更に当該問題を解決できるところまで相手を導ければしめたものである。
人間関係は複雑なため、クライアントのストレスがその複雑な絡みから来ていて解決の糸口が当事者に見えず、他人の手を借りなくては問題が整理できないといった場合には、カウンセラーや周囲の助けてくれそうな人に相談するしかないが、心の悲しみやモヤモヤの原因が分かっている場合にはただ吐き出すだけでも随分ラクになる。
何か大事なもの(恋とか、思い出のものとか)や人、ペットを失った場合というのは、まさに原因のわかっている悲しみ、モヤモヤ状態で、基本誰に文句を言ったところで解決にはならない。そんなときは「心が傷ついた」状態なので傷が癒えるまで時間が経過するのを待つしかない。しかしながら、その傷につける(治るのを助ける)塗り薬のようなものはある。それが「その傷ついた気持ちを吐き出す」ことである。
誰か身近に悲しみをシェアしてくれる人や悲しい気持ちを聞いてくれる人がいれば、それだけで随分助かる。でももしそうでない場合や、それだけでは足りない場合は「書く」ことだ。日記のように自分のためだけに書いて自分の気持ちを見つめることでもいいし、今ならブログに書いて誰かに読んでもらうこと(昨日の私のブログを読んでくれた皆さん、ありがとう!)でもいい。昨日の私はブログを書くことで自分の心の傷のセルフケアをさせてもらったのである。
以前トラウマについての学んだ際、トラウマとは、人が立ち向かうのがあまりに辛かったり、しんどかったりする心の傷を自己防衛本能から心の奥底に冷凍保存した結果であり、保存してある限りずっと苦しみ続けるもととなるということを知った。さらにその本には、人は何かトラウマになるような事に出会ったら(確かかなり高い確率で人は人生に一度はそのような経験をすると書いてあったと思う)勇気を出してその心の傷と立ち向かい、乗り越えることで自分の人生にとって何が一番大切なのかを知ることができるようになる、とも書いてあった。
このペットロスの経験はトラウマになるほど過酷なものではないが、カウンセリングを学ぶ以前の私なら辛さから目を逸らそうとしたり、また考えないようにと自分自身を忙しくしたかもしれない。が、今、日々じっくりその現実および自分の中の悲しみと向き合うことで徐々に、最初目にするのもつらかった彼(猫)のものをきっぱりと捨てられるようになったり、また避けていた彼を彷彿とさせる黒猫グッズを好んでそばに置こうとしたり出来るようになってきた。
たとえ何があろうと、人は前を向いて歩いて行かなくてはならない。何があろうと、過去に失ったものは戻ってはこない。あきらめて、その悲劇が自分にもたらしてくれたはずの教えを考えながら、また一歩進むだけである(と、今日も自分に言い聞かせている)。