満州に戻った茂には
娘が生まれていた
戦闘はなくても
食糧不足は南方と変わりなかった
満州も敗戦の知らせを境に
我先にと本土に戻る者、
茂のように戦地に行った夫を待つ者、
現地の者と懇意になり日本人であることを隠し残る者、
みなそれぞれが毎日を必死に生きて
その日その日の最善の選択をしていた
幸い、茂の住まいの付近は
決めかねている者も多く
まだ日本人が多く住んでいた
日本人が営む店があり
日本人の医者も居た
どうやら敵軍は攻め込んで来ないらしい
そんな気の緩みがあったのかもしれない
茂たちのいた地域は引き揚げが遅れていた
茂も妻も本土に戻ったところで行き先がない
引き揚げ船も行き先が決まらねば
乗る船も決まらない
決まらなければ残るしかない
半ば諦めた気持ちで半年が過ぎた
妻は新しい命を宿していた
半年も過ぎれば地域の人も減り
物資の配給も減り続け
茂の娘は病にかかった
今思えば、風邪だった。
風邪程度で死んだ。
医者が泣いていた。
薬さえ有れば助かったと。
茂の妻は泣き続けた。
泣き続けて小さな身体がまた小さくなったようだった。
それでも妻の身体に宿った命は
小さいながらに育ち妻の腹は膨らんだ。
地区の人が行き先がないならと
本土での働き口を紹介してくれた。
娘を亡くし、日々腹の大きくなる妻を見て
早く日本に帰らなければと二つ返事で乗った。
満州の家から荷物を運び出し、
娘の位牌と最低限の荷物を持ち
妻と共に長崎行きの引き揚げ船を目指した
港はまだ引き揚げ者で溢れ
数日待たねばならなかった
船に乗っても休める場所もなく
揺れと人で酔いつづけた
そんな中、妻が産気づいた
予定より大分はやかった
船底に藁を敷いて
年増の女たちが世話をしてくれた
湯を持ってこいと言われても
周りは海…
妻は劣悪な中で長男を産んだ
世話になった女たちに礼を述べ
すぐに船を降り紹介所へ行った
その時、そうか、本土だ
と実感が湧いた
紹介されたのは最近勢いがある
足尾という炭坑だった
帰国の連絡をする先もなく
前橋のオジサンに電報を打った
そして足尾へ行く人々が集められ
茂と妻は赤子を抱いて足尾へ向かった
足尾は銅山だった。
近辺には村ができて、銅山町になっていた。
住む場所が用意され、食糧も配られた。
汽車も走っていた。
もちろん、銅山のトロッコも。
引き揚げ船から来た者たちも
その活気に目を見開いた。
茂は銅山でも必死に働いた。
働き出して給料を貰い妻と子を養った。
この頃から、茂は給料明細を保存するようになった。
前橋のオジサンは戻ってこいと連絡してきた。
居候時代より、茂には炭坑が気に入っていた。
しばらくすると、新潟の実家から知らせが来た。
新潟は空襲もあり、疎開等手を打ったが、
長男は病死、次男は戦死。
継母の子も病死していた。
当主を継げと祖母が言ってきた。
これには茂も驚いたが足尾での生活が安定しており、断りの返事をした。祖母が逆上したことは後で知った。
茂は銅山で稼げるだけ稼いだ。
その間に子どもも増えた。
引き揚げ船で生まれた長男に続き、娘が生まれ、その後次男にも恵まれた。銅山の社宅で暮らし、子どもたちはみな足尾で学校に行った。
平穏な生活は末っ子の高校卒業まで続いたが
突然終わった。
銅山の閉山と関連会社での受け入れが決まった。
茂たち一家は関連企業で同じ栃木県の特殊車両を作る会社に移った。家族寮という名の貸家を与えられた。
慎ましく暮らすも、茂は足尾銅山で稼いだ金と退職慰労金を大事に貯めていた。
そして、新しく移った会社も高度経済成長の波に乗り、茂の給料はどんどん増えて行った。
引き揚げ船で生まれた長男は就職し、結婚。孫も生まれる。2番目の娘は肺が悪く、入退院を繰り返しているが、薬さえ有ればと泣かれた最初の娘より格段に良い生活をさせてやれている。
末っ子は学校で生徒会長をした縁で、警察や外資系等から誘いが有り、まさに金の卵だった。その金の卵は外資系を選んだ。
茂は敗戦のこと、当時の敵国の会社に行くなんて、といった感情ももう湧かなかった。息子が活躍すれば良かった。
茂は定年まで働き退職金も出ることになった。
社宅を抜けてマイホームを建てることにした。
同僚の1人が金を貸したまま、返せなくなった。
聞けば同じ市内に土地を持ってるという。
借金のかたに頂くことにして、
その土地にマイホームを建てた。
そして長男と嫁たち家族を呼び寄せ、
家族に囲まれて幸せな老後だった。