内田裕士さんの
岡山公演会のアーカイブを見ました。
“本当は「ごめん」って言いたかった”
この本を出版されてから
アンケートを取られたそうです。
・言えなかったごめんなさい。
・言えないでいるごめんなさい。
・言えて良かったごめんなさい。
・言ってもらって嬉しかったごめんなさい。
『ごめんなさい』界隈には中途半端な話はない、
と思われたんだそうです。
わたし自身、50年以上の月日を生きて来て
過去を思い出して『ごめん』と思う事は
たくさんあります。
いじめの場に居合わせても声を出せなかったり
自分を守る事だけに一生懸命だった子どもの頃。
めっちゃ仲良しという訳ではなかったけれど
さみしそうな後ろ姿を思い出します。
20歳の頃、友人に何気なく放った
自分の口から出た一言が
ずっと自分の中に残り続けて苦しんだこと。
職場で自分の間違いに途中で気づいて
後に引けず意地を張ってしまったこと。
今の自分なら間違った事くらい認めて謝罪して
後処理をすればいいだけなのになぁと思うけれど、
かなりの大人になるまでは
なぜか自分の間違いを認める事が怖かったです
間違いを認める🟰謝る🟰負けた気がする
🟰立場が下になってしまう🟰なんか嫌だ💦
こんな間違った方程式がいつのまにか
自分の中に出来上がっていたみたいです
(なんかって何❓)
謝ったからと言って、自分の立ち位置が
変わる訳でもなんでもないのに
自分に自信がなかったからなんでしょうね
内田さんが講演内でおっしゃっているのは
『自分が間違っている』から謝るのではなく
『怒っている』『悲しんでいる』
『イヤな気持ちにさせてしまった』
『その事についてはごめんなさい』で良いのだと。
10人いれば10の感じ方があり
どの人の感じ方も間違いではありません。
ただ、
合う合わない部分があるという事実だけです。
『怒り』の根っこには『悲しさ』があります。
『分かって欲しい』気持ちがあって
『分かってもらえない』と悲しくなるから
『怒り』が湧いてくるんです。
では『怒り』をそのまま受け入れて
ずっと『拗ねたまま』過ごしたり
『イライラ』したまま物事に対峙して
何か良い事があるでしょうか❓
まず自分がご機嫌ではいられないです
お肌も気持ちも行動も、荒れたままの毎日💦
自分が目指す未来に、それは必要なのかな❓
10人の人がいて、自分の事を
好き♡大切♡だと思う人は2人。
興味がない、どっちでもいい人は6人。
苦手!合わない!人は2人。
身近にいる人は『大切』な人である事が
ほとんどだと思いますが
『分かって欲しい』人だからこそ
『期待してしまっている』人だからこそ
『幸せになって欲しい』人だからこそ
『怒り』や『悲しさ』や『心配』が
湧いてくるんですよね〜
『謝るのがイヤ❗️』
『わたしは悪くない❗️』
『わたしのせいじゃない❗️』
『負けた気がする❗️』などは
あなたの中の価値観を知るサイン✨
『勝つ』のは『過去の自分』にだけでいいし、
『謝れる』人ほどツラい経験を乗り越えています。
月収7桁の人に誰も負けていないし、
華やかに活躍する知名度の高い人が
全てに勝っている訳でもありません。
表に出ていない部分では
光の強さの分の濃い影もあります。
持って生まれた性格や見た目で
得だよね〜と思ってしまう人もいますが
そういう方には『影』の気持ちは分かりません。
いわゆる闇堕ちした事のない人には
闇から這い上がる術は分からないから
這い上がった経験のあるわたし達の経験が
這い上がりたい人の糧になるのです
『負けるが勝ち』
張り合う気持ちは、自分の成長のために
使えます。特効薬にもなりますね
毒も薬になりますしね
ただ張り合うだけだと、精神の環境破壊💦
『負けるが勝ち』
『謝る≠負け』
本当にそうだなぁと思えたのは
2回目の成人式を迎えた後でした
本当に本気で『ごめんなさい』と思うなら
秒で謝ればいいお仏壇の前でもいいですよ❓
どうしても無理❗️なら
そのまま背負っていけばいいだけです
あなたが望むそのままで
変わりたい!と思う時は
誰といるか、どこに身を置くかが大切です
余計な重りを取っ払って
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