茶柱豆子の小説 -6ページ目

茶柱豆子の小説

ちょっと小説読んでかない?





 夏央は、目の前に来た私にニコっと笑いかけた。この笑顔、好きだなぁと思った。自分も笑顔を返したつもりだが、なぜか上手くいかず、どこか引き攣ってしまった。
 「大丈夫?」
 夏央はそう聞いてきた。
 そうだ、こんな声だった、と切なくなった。何度も脳内では彼との会話が繰り返されていたけれど、実際に本当の声を聞くと、記憶と少しズレがあった気がした。
 彼が何に対して大丈夫と聞いているのかわからなくて、もしかしてこの引き攣った顔を心配しているのかと思い、真顔になってしまった。それを見て、彼は声を出して笑った。
 「おもしろいねー、めいちゃん!」
 明るい彼の声は、私をとても暖かい気持ちにさせた。自然と私も笑顔になった。
 「あの、大丈夫って、なにが?」
 「…いや、こんな時間だしさ」
 「あ、大丈夫。あ、大丈夫です」
 私は彼らの一つ下なので、敬語にするべきかもしれない、と急に気づき、慌てた。が、
 「いや、今更、いらないから、敬語」
 と、彼はまた笑った。
 彼とは今日学校で初めて話したのに、なぜか前から知り合いだったような気がするのだ。壁を感じないというか、思わず敬語を忘れてしまうほどだ。
 夏央のバイクは大きく、座り心地が良さそうに見えた。そっと座席に触ると、思ったよりも固かった。
 「うしろ、乗ってみる?」
 彼はそう言い、ハンドルの片側にぶら下がっていたヘルメットを私に渡した。バイクの後ろに乗ったことは、人生で一度もない。私は、
 「乗りたい!」
 と、飛びつくようにヘルメットを受け取った。自分でも驚くほど、勢いがよかった。夏央はバイクのエンジンをかけた。お腹に響く低音が不快ではなく、ドキドキワクワクした。彼は持っていた自分のヘルメットを被り、私に、
 「ここに座って、、」
 と、座席を指差しそう言った瞬間、私が被ろうとしていたヘルメットが消えた。突如現れた翔太郎がそれを奪い取ったのだ。
 「てめぇ殺すぞ、なに乗ろうとしてんだよ!」
 と、私を殴るように腕を振り上げた。私は本当に殴られると思い、咄嗟に両手で顔を隠していた。
 今まで生きてきた中で、私は『殺すぞ』なんて言われたことがない。もちろん自分も人に言ったことはない。もしも口にしたら両親にきつく叱られたことだろう。こうやって、簡単に使う人がいるのは知っているが、自分に向けて発せられるとは思わなかったのだ。
 私はやり場を失った両手をそっと下ろして、様子を見ると、翔太郎はヘルメットを夏央に押し付けて、
 「人の女に手出してんじゃねぇぞ!」
 と、夏央に怒鳴った。私はドキドキハラハラして足も震えた。が、夏央は慣れているのだろうか。顔色一つ変えずに、ヘルメットをまたハンドルにかけ、エンジンを切った。
 そこにレンがネズミ花火を翔太郎の足元に投げた。私は視界に小さな火花が入ったので慌ててその場から離れた。すぐにパンっという音が鳴り響いた。不意打ちをくらった翔太郎は驚くと同時に凄い形相でレンに向かって走り出した。
 私の心は急激に冷たくなった気がした。ワクワクした気持ちが一瞬で消えた。バイクの後ろに乗れなかった悲しみと、翔太郎が嫌で嫌で、今まで感じたことのない憎しみのような、腹の奥底がドロドロっとした不快な何かが溢れてくる感覚でいっぱいになった。

 あの瞬間まで、突然翔太郎に交際を申し込まれたあの瞬間まで、私は毎日平和で楽しく過ごしていたのに。翔太郎のせいで、と思うのと同時に、なぜあの時雰囲気に流されて焦って彼の手を取ってしまったのか、と猛烈な後悔に飲み込まれた。

 「おまえ、もう帰っていいや」
 翔太郎は少し離れた場所から、私に向かってそう言ってきた。そして、しっしっと邪魔者を退かすような手振りをした。
 本当に嫌な気分にさせる人だなぁ、と鼻で笑ってしまった。腹の中の不快な気分はまた増えたが、あまり心は落ち込まなかった。夏央とここで会えたことが嬉しかったからだ。バイクの後ろには乗れなかったが、そう誘われたこともとても嬉しかったのだ。
 もういい、ここから帰ろうと思い、夏央に目を向けると、彼と目が合った。思わず口元がニヤけてしまった。私は彼に軽く会釈をして背を向けた。
 自転車を置いた場所までの道のりは、頭がすっきりしていた。一刻も早く翔太郎とは縁を切ろう、と今まで以上に確信できた。そして、自分にとって、夏央が特別な存在だということも、痛感した。
 これが、恋に落ちる、という感覚なんだろうと思った。人を好きになるって、突然始まるものなのか、とようやく知った気がした。
 翔太郎の言動で不愉快な思いばかりだったが、それが吹き飛んでしまうくらいに、夏央の存在が大きかった。
 公園周りの木が風でザザっと音を立てた。その音の中に翔太郎とレンがふざけ合う声がまだ微かに聞こえた。するとバイクの音もそれに加わった。ドキッとした。この音は、さっきの夏央のバイクの音だったからだ。胸が苦しくなった。その音を聞き漏らしたくない、と思い目をつぶり耳を澄ました。
 が、その音は瞬く間に背後まで迫ってきた。驚いて振り向くと眩しいライトが真後ろまで近づいていた。思わず手でライトを遮った。
 バイクは低音を鳴り響かせながら私の真横で停まった。
「早く!乗っていいよ!」
 と言う声が聞こえた。
 笑顔の夏央がそこにいた。






つづく