を、ここに宣言するー!
色々本を読んできて考えを書いてきて、やっっと自分の中で毒母との和解ができた
和解といっても母と何か話した訳ではなく
自分の中できっぱり落とし所がついたということだ
雲ひとつない青空!ってほど爽快な気分じゃないけど、まあほどほど雲はありつつ青空の方が多く基本は晴れ、という心模様になった
実は毒姉認定の記事も書いたのだがこれはなんとなく下書きのままにしている
今回毒母解放にあたり毒姉トラウマもほぼ解消された
ASD傾向母、心の理論のない子育て
最終的にこの本でスッキリ腹落ちすることができた
精神科医として言うと、児童虐待防止法の通報対象にならないような親のなかにも「毒親」はいます。子どもに衣食住と教育をちゃんと与え、いわゆる「きちんとした子育て」はしているのだけれど、子どもによからぬ影響を及ぼしている。そういう「毒親」も相当数いるのです。
「ASDタイプ」と思う親には、次のような人がいます。
- いわゆる「空気が読めない」タイプ
- 自分が不安や恐怖を感じることについて断定的に述べるタイプ
- 他のこととのバランスを考えず、自分が考えたことを押しつけるタイプ
あーまんまうちの母!
牛乳大好きだった私、母は「娘は牛乳を飲みすぎている」という心配が烙印になり、あらゆるトラブルを「牛乳を飲みすぎる事が原因」に繋げる
部活で疲れて風呂も歯磨きもしないで寝落ちしていたら「歯磨きしない子」の烙印となり、貴方はちゃんと歯を磨かないからねと未だに言われる(虫歯ゼロ)
とっくに昔の話だよね?それとこれとは関係ないよね?別に死ぬわけじゃないよね?ってどう説明しても無理だった🤪
「烙印」とは言い得て妙だ
心の理論とは人間関係における常識的な読みのこと
何かをあげたら喜んでくれるとか
お世話になったらお礼をするとか
良いことをしたら褒めてくれるとか悪いことをしたら謝るとか
その理論が母にはやっぱり少なかったなと思う
何かプレゼントしても「勿体ないからもう買わなくていいよ」
親戚の結婚式に招待されたら「料理がしょぼかった」
2人目出来た時も「堕ろしたら?」
ジム友達に「太った?」
スーパーで品出しパートしてる知り合いに「まだ働いてるの?」
で、 相手が怒ると「笑ってくれると思った」「なんで怒られるのかわからない」「(表面的な)ごめん悪かったよ」
ほとんど対話にならないので私の怒りはいつも宙ぶらりんになって、毒としてじわじわ心に浸透していった
なるほど母はASD傾向で思った事を事実として言ってるだけだったんだな
当然良い人間関係を築けてない母を見て
人間関係に悩みまくる人生となった
毒親からの回復は喪失体験と同じ
水島先生の本に私の立ち直りプロセスがそのまんま書いてあって驚いた
まず私は心の中で母を殺した
憎しみというより自分の中の「こうあって欲しい母像」を壊したようなイメージ
これがあるせいで理想の母と現実の母とのギャップに苦しみ続けていたので、必要な作業だったと思う
この時は結構喪失感あったなぁ
もう他人になったような、今母が亡くなっても悲しまないかもしれないな…と感じた
その後、時間薬で徐々にその状態が受け入れられるようになってきた
そして不思議なことに新しい母像が生まれてきた
母を1人の人間として見れるようになってきたというか、色んな事情と時代と背景と特性とがあってあんな風になってたんだなというのが腑に落ちてきた
毎日家族LINE
大人になってから自分が親きょうだいの精神疾患によるヤングケアラーだったと気付き、自分の生きづらさのルーツはこれだった!と確信すると憎悪が止まらなくなり、家族とは一旦距離を置いた
本人達に理由を言いたい衝動に駆られたが、相手もまだ疾患があり私の言葉がナイフになると思うと言えなかったので、ひたすら本を読んだりノートに書き出したり夫やカウンセラーに話して耐えた
自分の気持ちが言語化できるようになると、家族への憎悪も落ち着いてきて
退会してた家族グループLINEにも入った
それから2年、家族LINEは毎日稼働している
おはようとおやすみ
何か話題があれば話し
特に何もなければ挨拶だけが繰り返される
細々と続いているが、この距離感がいいな、と最近思ってきた
世間でいう仲良し家族ってほどではないけど
仲が悪い訳ではない
全員バラバラに離れてるけど、それぞれ自立し、独身も家庭持ちもいて、病気持ちも健康体もいて、みんなふんわり繋がってる
年1回は短時間会う関係性
やっぱり家族って最高!とか言う気はない
うちの家族は、本当に本当に大変だった。。
でもこの関係性のまま母が往生するなら悔いはないな、という境地まできた
一度喪失体験したから肝が据わったのかな🤔
とにかくね、親に関してはすっかりフラットな心境になれたのが良かった
毒親で悩む人は
告発本よりも専門家の解説本を読んだ方がいいと思う
水島先生や益田先生も書いてたが、毒親告発本は著者自身も毒親の影響から解放されておらずただ親を憎むだけに終始しているのもあり、もっともらしいけど根拠の無い「解釈」を読者に与える危険があるそう。
「母は娘に嫉妬するものだ」とか「虐待は連鎖する」とか。
そうすると一番良い解決策である「和解」「理解」とは程遠いものとなってしまうという
幸い私は心理学から入ったので親子関係や母娘関係を専門的に扱う精神科医やカウンセラーの本を読んだ事でかなりしっくりきた
図書館にも男女共同参画センターにも置いてあるし、親に悩む人は是非是非本読んでみてー✨
毒親育ちは良い親になれる
と水島先生の本に書いてありかなり励まされた
手前味噌だけど、今自分は本当に良い親してると思う
私の思う良い親とは、子供を見守りながら、信じて手放してくれる人
親自身も人生楽しんでる人
私のように明らかに酷い虐待を受けてた訳ではないが、親の気質や価値観によってのびのびと育つことができなかった人は多いと思う
宗教2世とも通じそう
でも、今子育てしていて、親にこうして欲しかったなという言動をする事で、自分にも子供にも優しい対応ができており、癒しになっている
例えば私はよく「わがまま」「貴方を見てると嵐みたいで疲れる」「飽き性で続かない」と言われて自己肯定感を下げてきたが、これは裏を返せば「納得感を大事にしたい」「色んなイベントに参加したい」「好奇心旺盛でとりあえずやってみたい」タイプとも言える
子供にはこの言い換えスキルでネガティブな性格の決めつけをしないように心がけている
外向的な子供なので同調圧力に屈さず良いところを伸ばしてあげたいと思っており、そのための経済的・精神的基盤の研鑽には余念がない(=自分:妻:母3割ずつマインドの堅持)
愛着安定型の夫の存在もかなり支えになった
義親のジェンダー観に疑問は残るが
それでも健全な精神で育ててくれたおかげで夫の精神はかなり安定しており、私のしんどい話を時に笑って、時にしんみり、時に共感をもって聞いてくれた
最初はアドバイスとか君が悪いとか言われて傷付いた時もあったけど、今はよきメンターとして側に居てくれてると思う
私もブログやノートに書き出して思考を整理する事で、感情に引っ張られずに対話する力がだいぶついた
私の郵便物を勝手に開けないで、と初めて言えた35歳春
こないだLINEで母に言ったのよ
私の郵便物勝手に開けないで、来たら一言言って欲しいって
一言、オッケーってきたw
それまでは当然のように開けられていて
しかも何も知らせてくれないのでたまの帰省時に確認したり住所変更対応したりしてた
でも自分宛の郵便物が勝手に開けられてるの、やっぱいい気しないよね
大学の同期が結婚した知らせの年賀状、これ来てたよーと渡されて見たら5年前
知ってたらちゃんと返信・お祝いしたのにな…
疾患の影響もあるだろうが、そういう社会性や常識が無いところに心底がっかりしてきた
今回も大学の同窓会会報勝手に開けて普通に話題にしてLINEしてきたんで
この度初めて、ピシャリと言ってみたわけです
別に今までの事を詫びて欲しいわけでもないので
フラットな気持ちで言えたし、オッケーって返事でも何も思わなかった
確かに、親に長年当然のようにされてきた事柄に対して、それが境界の侵害と気付かなかったので、ちゃんと嫌だと言ったことがなかった
これからは、ハッキリ嫌だと言っていこう
自分の境界線は自分で守っていく💪
母と妄想無し40分電話の奇跡
先月父子が出かけて一人トリキした日、ほろ酔いで帰ったら誰も居なかったので
なんとなく母に電話したら、楽しく40分も話せた
しかも犯人妄想の話題も出なかった!!
まあ私が一人で機嫌よくベラベラ話してただけなんだが
これはここ数年の状態からすると奇跡的
母と話すと「そんなことより、〇〇がずれてた、無くなってた、破かれてた、犯人が入ってきてる」「巨大な闇の組織が…」「また警察行ってきた」て話題ばかりなのでこちらも気が滅入り、コミュニケーションはLINEに切り替え
たまにかかってくる電話も要件のみで切るようにしてた
母と楽しく話せたのなんていつぶりだろう
理想の母像はとっくに壊しているので
新しい母として認識したら普通に嬉しかった
実家帰省は48時間まで
水島先生は毒親カラータイマーと名付け、毒実家の帰省は日帰りか一泊までと断言していた
それ以上は毒親の気遣いがゆるみ、また毒が出てしまいダメージを受ける、と
毒親と接触できる時間まで明示する毒親本は初めて見たけど、なるほど超納得
これ実家テーマでも散々書いたけど産後帰省するとストレスが爆増して、戻ってからも数週間ダメージを引きずるようになった
なんかほら、里帰り出産で娘が3ヶ月実家帰ったとか
育休中で2週間帰ったとか
割と聞く話だから、実家とはそのくらいは居られる場所だってイメージ持ってたんだけど
こだわりの強いASD母なのでとにかくマイルール縛りがキツく、2,3日でもうしんどい
自分のHSP傾向も自覚し、帰省期間は試行錯誤してきて、最後に帰った1泊が一番気が楽だったから、あーやっぱり48時間てのは本当なのね。と納得
同じく実家全く休まらない友達も、1ヶ月の予定を5日で切り上げて帰ってきたw
つまり自立したんだ、我々は
親に頼らずとも立派にやっているのだ
出せるもんは出してもらえ
水島先生の本で画期的だと思ったのは
毒親からの経済的援助は積極的に受けよう
と明記してくれたこと
母も昔はドケチだったけど
今は使い道が無いのか、帰省時は全部ご馳走してくれたり帰省費用くれたり私や子供へ贈与までしてくれるようになった
水島先生はこれを「慰謝料と思ってありがたく受け取ろう」と書いてた
なんかすごくスッキリ
お金貰ってるくせに毒親呼ばわりするん?って矛盾は確かに持ってたから
せや、15年以上生きづらかった慰謝料として貰ったるわ、と堂々と貰うことに決めた
次はGW、新幹線も飛行機もとった
実家と親戚と義実家を各1泊か2泊、姉家族と七五三一緒にやろうかとも話している
今までで一番落ち着いた心境である