一陽来復のカボチャ | 自家焙煎珈琲 豆散人アルジの公式ブログ 珈琲と日々

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愛知県豊明市にある自家焙煎珈琲店 豆散人(まめさんじん)のアルジが、珈琲のこと、お客さんのこと、日々の思いなどを気ままに綴っております。 (旧 ほちほち日記)

愛知県豊明市からこんばんは。

自家焙煎珈琲豆散人アルジです。

 

昨日が冬至だったのですね。いつも当日になってからか後から気づくことが多いです。といっても、カボチャを食べることもしませんが・・。

 

カボチャといえば・・子供の頃は嫌いでしたけど、今は好きなほうです。でも、食べる機会はほぼありません。

天婦羅はいいですね。子供の頃も、カボチャの天婦羅は好きでした。サツマイモはもっと好きで、タマネギはさらに好きで、一番好きなのはブロッコリーです。カボチャの順位は低そうですが、カボチャの食べ方としては好きです。

 

煮付けも今は好きですね。

突き出しで出てきたら嬉しいです。でも、居酒屋に行くことがないので、カボチャに出合いません。

 

カボチャのスイーツも馴染みがありません。和洋ともにいけそうですけど、あまりポピュラーではないのかな?

 

歌で思い出すのは、さだまさしの「パンプキンパイとシナモンティー」です。去年も書いたような気がしますけど。

「あみん」というコーヒー・ベーカリーが登場します。「待つわ」のあみんの元になったのがこれです。ネットで歌詞を調べたら「安眠」と書いてあみんでした。初めて知った。

 

コーヒー・ベーカリーですから、珈琲はついでです。実際出てきません。

そこの36歳独身、引っ込み思案で照れ屋で間抜けのマスターが、その店のお客さんの中でマドンナ的な存在のミス・パンプキンに恋をする。彼女は、背は高からず低からず容姿端麗なのだ。「僕ら」は、大学をサボってマスターを応援に行く。

 

ところが、差し出がましいことをしてしまい、ミス・パンプキンはお店を飛び出し、僕らは立場失くしてひたすらうろたえる。

そのうちマスターは結婚するが、相手がミス・パンプキンかどうかは教えてくれない。でも、それから僕らの待遇が良くなった、というオチ。

いかにも昭和です。

 

もっと古い江戸時代の話も。

これも何度か書いている古典落語の「唐茄子屋政談」です。

 

放蕩の若旦那が勘当の憂き目に遭い、居候先も無くなり、空腹を抱えてうろついているうちに、生きているのが嫌になり、橋から身投げしようとしたところを助けられる。

助けたのは、偶然伯父さんだったが、何しろ勘当の時にその眼前で「お天道様と米の飯はついてまわる」と大見得を切ったものだから、止めないから飛び込め、とまで言われてしまう。

 

なんとか詫びを入れて、伯父さんの家に入れてもらい、天秤棒を担いで唐茄子売りに出される。

でも、大店のお坊ちゃんですから、売り方も分からないし、体力もない。ふらついて倒れたところを町内の義侠心に富んだ若い衆に助けられる。

 

その若い衆は、通りかかる知り合い・・知らない人にも片っ端から声をかけ、唐茄子を大方売りさばいてくれる。2個しか残ってない状態で、

「これでなんとか担げます」

「当たりめえだ」

 

その後、勘当を許されるまでの人情噺、これは泣けます。こういうのを冬至にやってくれないかなあ? 寄席ではやってるかもしれませんが。

三遊亭金馬か古今亭志ん朝のがお薦めです。