愛知県豊明市からこんばんは。
自家焙煎珈琲豆散人アルジです。
アルジが中学生のとき、テレビで落語を視るのが好きでした。
本当は漫才のほうが好きだったのですが、花王名人劇場などでは、ときどき落語もありました。
「後生鰻」という演目があります。
鰻屋が鰻を捌こうとしていると、信心深いご隠居が通りかかって、
「これこれ、そんな殺生をしてはいかん」
と言って、その鰻を買い取り、
「もう二度と捕まるんじゃないぞ」
と言って、前の堀にポチャンと投げ込みます。
「ああ、いい後生(ごしょう)をした」
それが毎日続きますので、鰻屋はウハウハしていますが、ある時からぱったりご隠居が来なくなりました。
随分経って、休みの日にご隠居が向こうからやってくるのを見つけます。
でも、鰻が仕入れてありませんから、奥さんに生きてるものなら何でもいいからまな板の上に置け、と言います。
「猫でもいいよ」
「猫はどっか行っちゃったよ」
「じゃあ赤ん坊でいいよ」
「赤ん坊はダメだよ」
「大丈夫だよ、切りゃあしないんだから、ふりだけだよ」
急いでまな板の上に赤ん坊を置いておくと、ご隠居が血相変えて、
「なんてことするんだ、お前は! 私がいくらでも買い取るから、こっちに渡しなさい!」
赤ん坊を受けとると、
「もう二度とこんな家に生まれてきてはいけないよ」
前の堀にポチャン。
というオチ。
この噺を今やる人はいない筈です。最後のところが残酷だと言って苦情がくるから。
ブラックユーモアですが、噺の中の出来事なのに、なんだか随分繊細なことだとアルジは思います。
ここまでがマクラ。
10日の朝日新聞に「痛み伴う『お笑い』問題点は/『いじめの傍観 許容するモラルに』BPOが懸念示す」という記事がありました。
BPOというのは、「放送倫理・番組向上機構」で、政府機関ではなく、放送事業者によって自主運営されています。いわば自主規制の団体。
叩くというか、「はたく」ツッコミが、いじめを助長するから問題だ、とか、罰ゲーム的に嫌がることをしたり、ということが倫理上問題だというのです。
なんというか、頭が固いな、とアルジは思います。道徳の授業、風紀委員みたい。
昔と違って、子供たちの「耐性」が下がっているのかもしれません。あるいは、現実とテレビの中の出来事の区別をしにくくなってきたのかも。
しかし、そうなると、殺人や強盗などはサスペンスドラマでは当たり前ですし、お笑い番組を狙い撃ちする理由が分かりません。
身体的な特徴を揶揄するのも、もちろん問題視されるでしょう。
吉本新喜劇で池乃めだかが何かを言っているのに、周りの人は声は聞こえても、誰が喋っているか気づきません。
「声のするほうに集まって・・見~さ~げてごらん~」
で、下を見るとめだかがいるので、みんなワッと驚くというギャグがあります。
こういうのは、身体的特徴を生かして笑いを取っているのですから、いずれ出来なくなると思います。
でも、チビ、ブス、デブで食べてる芸人もいるんですよね。
「おいしい」とか「いじる」とか、そういう機微が子供にはなかなか分からないでしょうが、でも、規制するばかりではいけないと思います。
記事も、表現の自由との兼ね合いが難しい、と書いていますが、お笑いに道徳を求め過ぎるのは好きません。