棟方志功「板極道」 | 自家焙煎珈琲 豆散人アルジの公式ブログ 珈琲と日々

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愛知県豊明市にある自家焙煎珈琲店 豆散人(まめさんじん)のアルジが、珈琲のこと、お客さんのこと、日々の思いなどを気ままに綴っております。 (旧 ほちほち日記)

愛知県豊明市からこんばんは。

自家焙煎珈琲豆散人アルジです。

 

棟方志功の「板極道」という自伝的な本を読みました。

版画家ですから、そういう意味での「板」のようで、極道は、そのままの極道の意味らしいです。

青森県の寒村の出身です。いろいろと苦労をした人ですが、絵にかけては天才的で、奇行も目立ちます。そして性格的には、とても純真だったようです。魂を奪われる絵に出会うと、一日中見ていたそうです。

青森のゴッホを目指し、またそうも呼ばれた人です。裸の大将の山下清に通じるところがあると思います。

 

版画の先輩である平塚運一という人から、こう言われた話があります。

 

「版画は彫ることよりも刷ることがやっかいなのだ。たいていは版画というと彫ることを土台にするけれども、刷ることを大事に考えることが大切だ」

 

素人了見で考えるのとプロの考えはちがっている、ということは、けっこうあると思います。その類いだと思いました。珈琲の場合でもよくあります。

 

そして、民芸運動の柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司の「三先生」に出会い、それまで、

「自分の名が偉くならないと、仕事がりっぱにならぬと思い込んでいた」のが、

 

・ほんとうのモノは、名が偉くならずとも、仕事がひとりでに美しくなるようにきまっているものだ。

・希有のものより、普通のものにこそ最もりっぱで美しいものがある。

・自力という在り方と他力という在り方に仕事は別れて来る。

・偉いと善いとの心の別々であること。

・見すぼらしい、貧しいものだと思っていたものが、もっとも見事な位置にある。

 

ということを教えられ、また気づかされていきます。すでにそのこと自体が「他力」であるようです。

 

また、黒石市出身の鳴海ウラハルという「日本ではじめて口語歌をつくった」という人のことが「芸術家」として書かれています。

本名を鳴海要吉という人で、号として「うらぶる」または「浦春」が正しいようです。

その歌が面白いので、引用します。

 

背戸の山は蕨は太く山鳩はででっぼうぼうででっぼうぼう

 

鳩の鳴き声の表現がとても面白くて、先日書いた「にほんごであそぼ」のかるたに収録してほしいくらいです。もうひとつ、

 

何思ふ子供は遊ぶ遊べとて春のよい夜の橋はかはくに

 

これは棟方の解説付きです。

雪国の子供は、冬のあいだ外で遊ぶことができません。春になって、最初に雪が解けるのは橋の上ですから、そこに集って子供らは遊ぶのだそうです。

とても美しい歌だと思います。

 

まだあまり消化できずまま、覚えのためにとりとめなく書きましたが、これで終わりです。