猫の記憶 | 自家焙煎珈琲 豆散人アルジの公式ブログ 珈琲と日々

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愛知県豊明市にある自家焙煎珈琲店 豆散人(まめさんじん)のアルジが、珈琲のこと、お客さんのこと、日々の思いなどを気ままに綴っております。 (旧 ほちほち日記)

愛知県豊明市からこんばんは。

自家焙煎珈琲豆散人アルジです。

 

 最近、猫や鳥や魚のことばかり書いている気もしますが、今日は猫の話です。

猫は忙しくなくて、気楽そうだし、猫になりたいな、という人は多いと思います。この時期に似合いそうな「猫の手も借りたい」なんて言葉も、役に立ちそうにない奴の意味ですからね。

 

 猫には悩みなんてないでしょうね。猫社会にも、人間関係のように、猫関係というものがあるのかもしれませんが、それで悩んで病気になるってこともあまりないでしょう。いじめられればストレスを受けるでしょうけど、そんなに複雑ではないと思います。

 

アルジは、猫に悩みがないことよりも、恥の概念がないのがいちばん羨ましいです。

猫が特定の人間を好いたり嫌ったりするのは、優しくしてもらったり、邪険にされたりした記憶に基づくというよりも、なにかもっと条件反射的に本能で識別するのだと思います。

 

その時その時の感覚で生きていけるので、記憶を蓄積する必要もないのでしょうね。危険な思いをすれば、そこは危険な場所として認知されるでしょうが、それも本能的なもので、危険な体験の記憶そのものは無くなっていると思います。

 

記憶として残すのに必要な言葉がないですから、最初から、記憶という概念を持たないのでしょうね。ニャアと鳴いて、何か伝えたりすることはあるので、「いや、言葉はあるぞ」とおっしゃる方がいそうですが、言葉というより合図に近いのだと思います。

 

言葉がなく、記憶もないってことは、昔搔いた恥を思い出して、悶々とすることもない筈なので、アルジはそこが猫の羨ましいところです。