
サマセット・モーム「英国諜報員 アシェンデン」(新潮文庫)の金原瑞人新訳が、わが家のトイレ用図書の一員になって、もう2か月がたつ。
ところが、さっぱり読む気になれないのである。
時折、ちょっと前に読んだ龍口直太郎訳のものと比べてみようか、と思ってページを開いてみるのだが、すぐに読む気が失せてしまう。
なぜだろう? 読んだばかりだからかな? と思ったりもしたが、最近になって原因の一つがひらめいた。
ページの “見た目” が、読む気を起こさせないのである。
活字が大きすぎるうえに、行間がスカスカである。まるで子ども向けの文庫本のようである。
ぼくも高齢で視力の低下は覆うべくもないのだが、しかしここまで大きな活字、間の抜けた行間でなくてもまだ十分に読むことはできる。
いったい新潮文庫はどんな読者を想定して、こんなページ・レイアウトにしたのだろうか。

▲ 上の写真は、上段が新潮文庫の新訳、下段の左側が新潮文庫の旧訳(河野一郎訳、1963年)、右側が創元推理文庫(龍口直太郎訳、1959年)である。
しかも、その行間につけられたルビにも閉口する。
これまた、ぼくも高齢化して時おり板書の際に漢字が出てこなくて困ることがある。しかし書かれた漢字は読むことができる。
自慢ではないが、ぼくらの世代は、山本有三が文部大臣時代に定めたわずか881字の教育漢字だけで義務教育を終えた世代である。学校で漢字を学ばなかったことにかけては前後のどの世代にも負けないだろう。
それでも「アシェンデン」に出てくる漢字くらいは読むことができる。
ところが今回の新訳たるや、いったい何を基準にルビを振っているのか、と思いたくなるくらいにルビがついているのである。
尻切れトンボ、中途半端、ひげを剃る、到る・・に至るまでひっきりなしである。
極めつけは、なんと「諜報員」にまで「ちょうほういん」とルビが振ってあるではないか! この本を買った人は、表紙の「諜報員」を読めないままにこの本を買ったというのだろうか。
いつからこんなことになっていたのかと、ちくま文庫のモーム、岩波文庫のモームを引っぱり出してみた。

▲ 上が1996年に出たちくま文庫の「中国の屏風」、下が2008年に出た岩波文庫の「モーム短編集である。
1950~60年頃に出た古い新潮文庫と比べると、時代が下るに従って次第に文字が大きくなり、行間が開いていくのが分かる。
しかし、こんなことを言っているぼく自身も、やがて最近の新潮文庫のような大きな活字で、行間にルビがちりばめられた本を有難がる時が来るのかもしれない。
最近では、若いころにぼく自身が放った言葉が、ブーメランのように歳をとったぼく自身に突き刺さることが多くなっている。
2017年11月5日 記