サロイヤン「人間喜劇」(小島信夫訳、晶文社 1977年、手元にあるのは1982年10刷。下の写真。もとは研究社1957年刊))の第18章、19章を読んだ。
数年前に、「ライ麦畑で捕まえて」(野崎孝訳、白水社)以前のサリンジャーの初期短編にはまっていた頃、「サリンジャー選集(2) 若者たち」(刈田元司訳、荒地出版社)に収録された短編を読んでいるうちに、「これは大学時代の英語の授業で読んだサロイヤンだな!」と感じたことがあった。
その短編は、「他人行儀」(原題は “The Stranger”)である(※豆豆先生の読書室「最後の休暇の最後の日」2021年11月16日付で紹介した。「よそ者」「一面識もない男」と訳す翻訳もある)。
戦地から戻った主人公が、戦友の戦死を彼の元彼女に伝えに行く話だった。元彼氏の戦死を知らされる彼女と主人公は面識がなかったようなので “The stranger”は「一面識もない男」だが、戦死の伝え方がぎこちなくよそよそしい感じなので「他人行儀」と訳されたのだろう。“stand(act) like stranger” には「よそよそしく振舞う」という意味があるらしい。
サリンジャー「他人行儀」を読んで、「これはサロイヤンだ!」と思ったのだが、実はサロイヤンの作品をまとまって読んだことはない。ただ大学 1年の時の英語の授業でテキストに指定された 1つがサロイヤンで、その 1作だけはなぜか大学で受けた授業の中でも鮮明な印象が今日まで残っている(※フランス語の訳読の授業で読んだメリメ「マテオ・ファルコネ」、ドーデ「星」も忘れられない)。
第 2次大戦中のアメリカの片田舎で郵便配達のアルバイトをしている少年が、出征中の息子の戦死を伝える手紙を母親のもとに届けに行くという話だった。その手紙を届けるときの配達少年の気の重さが印象に残った。
昨日ほかの本を探していたら、偶然このサロイヤンの小島訳「人間喜劇」を見つけた。近くから原書も出てきた。
大学の授業で使ったテキストはサロイヤン作品を集めた抄録版だったが、今では手元にない。きのう出てきた William Saroyan “The Human Comedy”(Dell Pub.,1943. 手元にあるのは1966年版、なんと定価は60セント! 冒頭の写真)を見ると、この短編集に収められた第19話 “Alan” がぼくの記憶にあるストーリーの内容だった。ただし第18話 “The Telegram”を読んでいないと第19話の意味は通じないから、授業では少なくとも第18話と19話は読んだのだと思う。
改めて読むと、少年(ホーマー)が配達のアルバイトをしていたのは(実はアルバイトではなく正規の配達員だった!)電報局で、届けたのは戦死を知らせる電報だった。しかも折り悪しく戦死した兵隊の母親の誕生パーティーが開かれている場に届けに行くのだった。原書の章題 “Alan” は戦死した兵士の名前だが、小島訳では「愛するお母様に」となっている。戦地のアランがふるさとの母親に送った手紙の書き出しの言葉である。サロイヤンでは、この電報の渡し方は詳しく書かれていない。ただ、電報を受け取った母親が部屋の隅に行ってすすり泣き、娘が母親の肩に手をかけるだけである。
「人間喜劇」の舞台のカリフォルニア州イサカ(Ithaca)というのは架空の町だそうだが(先住民由来の如何にもありそうな地名だが)、裏表紙のキャッチ・コピーには “Ithaca, California East, West ー Home is Best Welcom Stranger” と書いてある。イサカが架空の町なら、すべての読者は “stranger” だろう。こんなところで “stranger” (サリンジャー「他人行儀」)との暗合を指摘するのは強引だろうか。
巻末の解説で小島は、「最小の単位の町でありながら、死の訪れ方のはげしさ。・・・この小説は俄然、ある町の話ではなく、人生そのものの物語に転化されてしまう。永遠の話になる」と書いて解説を結んでいる。
この本をテキストに指定して、こんな印象的なストーリーを数十年間ぼくの心に残してくれた英語の先生に感謝しなければなるまい。サリンジャー「他人行儀」を読んで、サロイヤン「人間喜劇」のこのエピソードを思い出した自分自身もほめておこう。
ただ、今回翻訳書と原書が出てきたことで、また一つの謎が生じてしまった。
ぼくは1969年(昭和44年)に大学に入学して、英語の授業でサロイヤンと出会ったと思っていたのだが、今回出てきた原書(Dell Books)の表紙扉には “March the 22nd 1967” と読み出した日付が書いてあったのである。1967年3月といえばぼくはまだ高校 2年生である。高校 2年のぼくはどうして洋書のサロイヤンなどを買ったのだろう。
読んだ形跡があったのは最初の数章だけで(実は第2章まで)、第18、19章のはるか手前で挫折したようである。
ぼくのサロイヤンの記憶は間違いなく第18章、第19章のエピソードだから、大学の授業で読んだことも(ちょっと自信がなくなくなってきたが、おそらく)間違いない。ということは、高校 2年のときに、誰かぼくにサロイヤンを薦めた先生か友人がいたのではないかと思うが、一体それは誰だったのか?
久しぶりに読んでみると、深刻な話題も感傷を抑えた簡潔な文章で書かれていて、なかなか好い。76歳になった今度こそ最後まで読んでみようと思った。
この原書にはサロイヤンの死を報じた死亡記事の切抜きが挟んであった。朝日新聞1981年 5月19日夕刊で、「カリフォルニア州フレスノで死去。72歳。アルメニア系移民の子で、米国のアルメニア人の生活をユーモアと感傷を織りまぜて表現した作家…」と紹介してある。ピューリツァー賞を受賞した際には芸術は金銭とは無縁だとして賞金を受け取ることを拒否したともある。芥川賞、直木賞やノーベル文学賞の受賞者で賞金を拒否した作家はいるのだろうか。山本周五郎のように直木賞自体を拒否した作家はいるが。ぼくなら受け取ってしまうだろう。
2026年8月30日 記



















