手術が終わった時、先生からは「もう水分補給も、食事も制限ないですよ。自由にしてて」って

言われてたから、お昼ご飯を食べ終えたら、下のコンビニでご褒美にキレートレモンでも買おうかなって

思っていた。朝からずっと待ってくれていたオットにも疲れが見えていたし、じゃあ送りがてら

コンビニ行こうかなーって言っていたら・・・「病棟内のみ歩行可」だったらしく撃沈笑い泣き

仕方なく、オットにお使いに行ってもらうことに。

 

あっという間に晩御飯の時間になって、ワゴンで夕食が運ばれてきた。

ご飯とおやつまで食べた後だし、そんなに食べられなかったけれど、抗がん剤治療や、手術で入院してた

時のように、食事のワゴンの音だけで、同室の人が食べている臭いだけで涙が出ちゃうほど辛くなることは

もうなくて、それがとても嬉しかったニコニコ

 

夜になって、廊下のあちこちで家族や友達と電話してる人がいたり、コロナ禍の入院の時と違って、

家族の人が夕食を届けにきたり、面会している姿も見かけた。

廊下の突き当たりの窓のところの長椅子に座って、大阪城を見た。入院中、何度も何度も見た景色。

 

 

真冬の入院の時は、イルミネーションが楽しそうで、元気になったら見にいこうって思ったな。

眠れなかったり、抗がん剤の副作用のむずむず足が辛くて、この廊下を夜中に何往復もしてたな。

ちょっとでも筋肉をつけなきゃって、ここで何度もスクワットしてたな。

何度も何度も不安で、この病棟のいろんなところで泣いちゃってたな。

退院してから、病棟に上がってくることはなかったので、ほんとに記憶がぶわわわわーっと。

今、こうして寛解まで辿り着いて、仕事に復帰できて、ポートを取ることができるなんて、

あの頃は考えられなかった。

でも、またいつここで闘わなければいけなくなるか、それは誰にもわからないけど、

嬉しいのか、怖いのか、トラウマなのか、自分でも説明できない気持ちで、胸がぎゅうとなった。

 

眠れないまま迎えた朝、6時頃から検温や血圧測定なんかがあって、病棟が少しずつ明るくなった頃、

お隣のベッドから押し殺した泣き声が聞こえてきた。

何度も何度もティッシュを取る音がする。4人部屋のみんながその様子に気がついていたと思う。

でも、誰も声をかけない。ただただ、静かにしている。

私も何度も枕に顔を押し付けて泣いてたことを思い出した。

告知されてから、何度も何度も泣いた。がんになったのが辛い、抗がん剤が怖い、やりたくない。

手術なんて想像もできない。放射線なんて浴びたくない。でもまだ生きていたい。

ぐるぐるぐるぐる、前に進むことが怖くて泣いてばかりだった。

もしも、他の場所で誰かがこんな風に泣いていたら、声をかけたと思う。

でも、ここは「大丈夫ですよ」と声をかけられる場所ではなくて、頑張りすぎるくらい頑張っている

人に「頑張れ」なんて言えない。それが痛いほどわかっているから、病室の中はずっと静かで、

誰も動き出さなかった。

 

退院の手続きを終えて、迎えに来てくれたオットと一緒に、大阪城公園の中にあるお気に入りの

パン屋さんでモーニングを食べた。あったかいスープとコーヒー。サラダに焼きたてパン。

ほんとにシンプルなモーニングだったけど、ものすごく美味しく感じたし、早く帰って子供たちに

会いたいなと思った←迎えに来てくれたオットに失礼やけど笑い泣き

術後2年3ヶ月。1泊の入院だったけど当たり前の日常を過ごせていることのありがたさを

思い出した日になりましたニコニコ