2024.5.18 土山宿ー問屋宅跡

 

昨日、山のグループの45周年の記事を書いて、自分自身の山の遍歴を振り返った。というか、今の、山に行けないという辛さゆえに過去を懐かしんだという言い方が適切だろう。

 

45周年を記念しての写真集を見ていた(編集していた)。剣岳とか芦生の上谷とかの写真が出てくる。むちゃくちゃ懐かしい。剣は家族と立山に行き、天気がいいので剣に行こうと思い立って、一人で剣ー大日と縦走して称名滝近くに降りた。芦生の上谷は芦生との出会いの場所だった。この上谷以降、芦生演習林の大半に行かせてもらった。過去の栄光に過ぎない。

 

私は学生時代はワンゲルに入会したが、あまりにも辛くて退会したという落ちこぼれだ。でも会社に入って、山のグループに所属した実績もあり、どうも山は好きだったようだ。

 

私の山好きを決定づけたのは栃木への出向(50歳くらい)だった。観光も一段落して行き場所がなくなって、結局は山を選んだ。春夏秋冬、原則、車で山に行った。栃木、福島、群馬、茨城。日光、尾瀬、安達太良山、磐梯山、筑波山などなど。装備は体験で補充していった。GPSがないゆえに道をロストしたが、体力で補った。

 

そして、60歳頃、滋賀の山に戻った。ここではプロとか山のリーダー層から尾根歩き、谷歩きを教わった。この時期が私のピークだろう。但し、実力はわかっていたので、一人でチャレンジできるのは低山の縦走が精一杯だった。もちろんこの時期にはGPSは必需品だった。ーー 多くの人から教わったが、ロープの扱いとか初歩的なところはマスターできていなかった(すぐ忘れてしまう)ので限界があった。

 

その後、足を痛め、ウォーキングに転向せざるを得なかった。

 

ざっと、このような遍歴となる。栃木での山日記がホームページ作成につながっていくので、人の運命(母が好きな言葉)の面白さを思う。このネットがトランプにつながり、コロナワクチンにつながっていくから、益々面白い。

 

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トリファラスキーさん;

トリファラスキーさん;

トリファラスキーさん;

ありすママさん;

ありすママさん;

G15さん;

  POPPOさん;

先日、イランのライシ大統領一行を乗せたヘリコプター墜落事故報道がありました。(その後、大統領死去の報道も)