2024.5.15 西国街道ー茨木・保存樹ームクノキ

 

3つのグループで同じ企画も実施しているのでグループの区分をすることにした。K(山のグループ)、L(個人的集まり)、O(会社OB)、S(一人で下見)の4つだ。

 

西国街道の場合、SとLが先行している。したがって、今回は3回目の高槻ー豊川間となる。3回目の発見は何かといえば、今城塚古墳が継体天皇のお墓の可能性がるという点だろう。

 

従来よりこの古墳の大きさと出土品の多さからしてそれなりの人材のお墓と認識していたが、継体天皇陵の可能性については全く考えなかった。なぜなら近くに継体天皇陵が存在するからだ。でも、歴史に詳しい参加者に言わせると、宮内庁が決めた

だけで、異説の可能性も十分ありとのことだった。

 

仁徳天皇陵の近くにも歴史館のような設備があったが、この古墳にも立派な歴史館が存在する。多くの小学生も校外学習に来ているようだ。こんな立派な歴史舘があるのに「いましろ大王」のお墓というのはどう見ても不自然だろう。3回目にして初めて歴史館を訪問した。

 

このKグループのメンバーは飲むことの好きな連中が多い。今回の場合、豊川駅(モノレール)周辺、南茨木駅周辺はいずれも3時ごろに開店している店はないというと、さっそく調べ、豊川付近からJR茨木駅に行くバスの存在を調べ、JR茨木駅に行こうと提案する。大した調査力だと感心する。当然、バスでJR茨木駅を目指す。

 

私の街道歩きのパターンの典型的事例になった。つまり、私の知らなかったことを教えてもらって、自分の知識として吸収できた。つまり、継体天皇陵のこと、モノレールではなくバス便も使えるということ。

 

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トリファラスキーさん;

ありすママさん;

shinjirouさん;

  POPPOさん;

今月(5月)となってから、五次元波動への移行速度が高まっていると感じています。