「いい人でありたい」
とか
「あの人はほんとにいい人だ」
とか
「私はいい人じゃない」
とか
「あの人はほんとにいい人なのか?」
とか







理想、決めつけ、罪悪感、疑惑…
そういうのってまだ必要かな?











これは私自身の根がポンコツで
しょーもないから思うのかもしれないけど
人って社会性を全て剥ぎ取ったら
大体ろくでもないんじゃなかろうか?



私は仕事してる自分と
家で家族の過ごす自分って
全然違う。



私という人間は
家だと本当にろくでもない🤣



息を吐くように平気で愚痴をこぼすし
何もせずにダラダラしてることも多いし
理不尽に怒ったり悲しんだり
かと思ったら突然元気になって踊り出す🕺













そんなありのままの自分では
社会に出た時に不都合の方が大きいので
外で誰かと仕事してる時は
普通の人っぽくして過ごしている。




ふたりの人間が同じことをしたとき
もしそれが家族だったら
「ちょっと本当にやめて〜😇💢」って
面倒な絡み方をするところを
目の前にいる相手が家族以外なら
「全然大丈夫ですよ〜☺️」となる。



外の人に対してあまり感情が動かないし
大抵のことはどうでもよいことが多い。



本人にわざわざいう必要はないかな
って思って嘘をつくことも沢山ある。



それが相手から見ると
寛大で優しくていい人に映ることがある。



で、
もし私が「いい人」に見られたとする。



でも、
実際の私は特にいい人ではない。



相手が変われば態度も変わるし、
本人にはわざわざ言わないだけで
家では本音が漏れたりする。



もしもそんな私を見たら
「いい人だと思ってたのに…」
となるのかもしれないね。











何が言いたいのかというと、
私はすごく有難いな〜って感じてる🌷




みんなほんとはそんなに
いい人ではないところを(失礼w)
それぞれ最低限の敬意を払って
いい人っぽい部分を私に
見せようとしてくれていることに
私はとても価値を感じている。




その人がほんとにいい人かどうかには
私はあまり興味がない。



とにかく、今この瞬間、
私のためにいい人っぽく
振る舞ってくれていることが
めっちゃ有難い。



私にとってはそれだけで充分なのだ🌷











10代の頃は
誰が本当にいい人なのか
疑心暗鬼だった。



20代の頃は
みんないい人って強く信じすぎて
無駄に傷付いたりした。



30代になって、
今の状態はラフで心地良い✨



「今日もいい人っぽく振る舞ってくれて
ありがとう🙏✨めちゃ心地良いわ🥰」
ってのを土台にして
たまに素の部分が見え隠れしたときは
「余裕ないんだね。わかるよ〜!
私も余裕ないときは
いい人っぽくできないもん。無理よね。」
って思って目を瞑る😌詮索しない。











BUMPも「透明飛行船」の中で
" 優しさの真似事は優しさ "
って歌ってるけど、ほんとそれよ。



それくらいの構え方でいいと思うね🌷











みんなのためになることとか
誰も傷付けないで生きることって
できないんじゃないかな。




絶対的な優しさなんてないなら
優しさの真似事は優しさってことで
本当にいいと思う✨