8月12日に生理がきた。


なんとなくイライラしていたから
そろそろ来ることはわかっていた。








13日、14日は出勤日だったので
痛み止めを飲んで働いた。


職場は男性シェフがひとりいる他
みんな女性なのでお互いに生理の日は
「今日2日目なんだ」
「今日は少しお腹が痛くて」と
体調をシェアしてフォローし合っている。


実際、忙しくなると
フォローできない/してもらえないことは
当たり前にあるのだけど
コンディションを素直に話し
それを理解してもらえる
それだけで心はうんと軽くなる。


痛いのに、辛いのに、しんどいのに、
大丈夫なふりをして
気丈に振る舞う必要がないことが
本当に有難いなと思う。











15日は無気力に襲われて
洗濯物を干す気力も
夕飯の献立を考える気力もなく
逃げるように夜のスタバへ行き
(正確には旦那さんに連れて行ってもらい)
普段は欲しない甘いスイーツを食べた。


甘い口で仕事の愚痴や不満を
旦那さんに聞いてもらっている自分が
自分で受け入れられない。


全部わかった上で選んで働いている。
感謝の方が多い職場。


普段の私なら口にしないようなことが
ダラダラとだらしなく口から出ていく。


全部本当の気持ちで
だけど、表現する必要がないと
いつもの自分が思っている気持ち。


私は私を否定する。


最後に言い訳のように
「ごめんね、生理中で
今私の心の状態が良くないだけなの」
と、呟く。


今感じている心も本物で
私の心の有り様も本物で
そこには何一つ嘘はない。


純度100%の心。


私の話を聞いて
内容こそわからないけど
雰囲気を察した娘(4歳)が
チョコレートまみれの口で
「おつかれさま!」って労ってくれた。


純度こそ100%だけど
それはそれはドロドロとした心に、
娘の声のトーンがあまりにも
屈託がなくてピュアで、
そのコントラストがなんか凄くて
自分がものすごく汚く思えた。













16日、17日は
食器洗い・洗濯物干し・夕飯作りの
最低限の家事だけをこなし
ひたすらソファに転がっていた。


16日の夜ごはんは
チャーハンの素で作ったチャーハンに
お惣菜のサラダと餃子。


17日はカレーのみ。













家族は優しい。


生理前のイライラも
生理期間中の無気力も
ただただ見守ってくれる。


17日の夜は心がしんどくて
旦那さんに心の声の吐露に
付き合ってもらった。


・在宅の仕事が手が付かずで不安

・仕事もしてないのに家事育児も
 ろくに出来てない自分が不甲斐ない

・せっかくの夏休みなのに
 娘を遊びに連れて行けないことへの罪悪感

・ひとりの時間がほしいと思い
 娘との時間を楽しめていないことへの
 母親としての劣等感


だいたいこんな感じのこと。


こういう話をする時は
いつも喉のあたりがキューッと
締め付けられるような苦しさがあって
自然と涙が溢れてくる。


自分を責めてる自分と
責められている自分を
不憫に思う自分がいるような感覚。


「なんで○○○なんだろう」と
「でもそれって仕方ないよ」を
シーソーのようにふたりの私が繰り返す。


旦那さんもこれが自分との対話ではなく
私自身の心の対話なのだとわかっているから
私の肩を揉んだり腰をさすったりしながら
ただ「うんうん」と聞いてくれていた。


この日の私は
アドバイスや意見はいらなかったから
その姿勢が本当に有り難かった。














今日、18日に生理が終わった。


朝8:30頃までベッドでだらだらと
過ごしていたのが嘘のように
目覚ましなしで6:30に起床。


5日ぶりに3人分の朝ごはんを作り
3日ぶりに3人で「いただきます」をした。


食卓に娘と私が座って
朝ごはんを食べている姿を見た旦那さんが
しみじみと「なんか幸せな光景だ」と。








昨日までの無気力や気だるさ
ネガティブがすーっと解けて
なくなっていくような不思議な感覚。


自分の中にちゃんと自分がいるような
自分にしっくりくるような感覚。










まだ完全に覚醒していない
少しぼーっとした頭で考えていることは
生理期間ってさそり座みたいってこと。


ドロドロとしていて
嘘がなくて
生まれ変わるような。


女性は、1ヶ月ごとに
溜めに溜めたドロドロとした感情を
浄化しているのではなかろうか?


浄化というと気持ち良さそうだけど
もっと、なんというか、冥王星的な
強制力が働いているイメージ。



もし、
生理期間がさそりの時間なのであれば
自分のシャドーに向き合うことが
生理期間のテーマのひとつなのかもしれない。


理屈や綺麗事を嫌うさそり座だから
容赦なく本質をついてくる。


「生理だから心の調子が悪い」のではなく
むしろ、生理期間に感じたことや
口から出てきた言葉こそが本物なのかも。


社会生活において
本物であることの価値は思いの外、低い。


だから、本物は時に
オブラートに包まれたり
建前を盾にしたりして
ひっそりと姿を隠している。


生理の期間はさなぎのようなもので
本物も偽物も建前も全部が解けて形を失う。


そして、再生する。
新しいものに生まれ変わる。


「本物」と「偽物」と「建前」が
融合することで新しい私になる。


生理後1ヶ月の中で
どんどんと分離していく心を
生理期間に強制的に統合していく。


生理のたびに
なかなかに辛い心理状態を経て
再生した心は
生理前に戻るのではなく
生まれ変わっているような気がする。


生理期間の苦しさは
産道を通る胎児が味わう苦しみに
似ているのかもしれない。


なんかよくわかんないけど
強い不安と苦しみがあって
だけど戻ることはできなくて。












そんなわけで、たぶんだけど、
今日私は小さく生まれ変わった。


心ももしかしたら
気付かないほどの微妙さで
アップデートされているかもしれない。


生理期間中に感じていた
漠然とした不安や
気だるい無気力はもうない。


状況はなにも変わってないけど
「まあなんとかなるだろう」と
今はとても気楽に考えられている。


今日からの新しい私が
何をどう感じながら生きて行くのか
少し楽しみだ。









生理期間のことをとりとめもなく
書いてみたのには訳がある。


生理期間中は
「ずっとこのままの自分だったらどうしよう」
という不安に襲われる。


「ずっと同じ」なんてことは
「いつも変わる」ことより
実はずっとずっと難しく、
だからそんなことはあり得ないのだけど
生理期間には割と本気で
不安になってしまうから、
こうやってブログに記録しておくことで
大丈夫だと思えるかなと考えたのだ。


本当は日々の記録をつけたいのだけど
生理期間にはそれすらも
億劫になってしまうから。


これは、
生理が終わって「大丈夫モード」に
なった私から
未来の「不安モード」の私への手紙。


もし不安や無気力に襲われた時は
このブログを読み返してみてほしい。