昨日書いた



今日の朝、瞑想していたら
さらに素晴らしい確信を得て
久々に「繋がる」感覚に浸りました✨







それは子育てへの
自問自答に対する
愛に溢れた答えでした☺️









私は専業主婦として
2歳の娘を育てているのですが







娘が成長するにつれて

「許容できない」という苦しさを
感じることがありました







生まれたての頃は
どれだけ泣いても
「よしよし☺️」と抱き上げ
どんな時間に起こされても
「どうしたの?」と
娘のペースに合わせることが
とても自然なことでした








元々お腹の中で
私とひとつだった娘








どれだけ寝不足で
自分の時間が削られても








娘と呼吸を合わせるように
同じリズムでいることが
心地よいことを本質的に
捉えていたのです








なのですが、


娘が1歳を過ぎたあたりから
その感覚から遠ざかることが
増えてきました









手がかかりきりだった時期を過ぎ
ちょっとだけ自分の時間を
確保出来るようになった頃から










私の意識が「楽しい」に
切り替わりました










内側から湧き上がるような
無限の「幸せ」を感じる
娘とのゆったりした時間から








私の意識が外側を向いたのです










好奇心が向いた先へ
意識が流れていくほどに
「楽しい」が大きくなり






ゆったりと重厚だった
時間の流れは
どんどんとスピーディーに
なっていきました











「楽しい」意識で
はやいはやい時間の流れに
飛び乗っている時
娘のペースが入ってくると
なんだか邪魔をされているようで
ムズムズしました









そのあたりから私は


娘に意識が向いていると
とても穏やかで満たされていて
なにも求めるものがなくなる



ことと、


ふいに刺激を求めて
外側に意識が向いた瞬間に
娘と過ごす穏やかな感覚から離れ
「邪魔されたくない」と感じる



ことの板挟みになりました










「幸せ」だけだと退屈
「楽しい」だけだと麻痺する










その時の私はまだ
「幸せ」と「楽しい」の明確な違いに
気付いていなかったので








「娘との時間は幸せなのに
どうしてずっとそこにいることが
できないんだろう?」


「どうして娘は私の邪魔をするんだろう?」








と、本質的でない疑問に
答えを見出せずにいました










そして私の疑問は最終的に








「私が今子育てをしている
意味はなんだろう?」









というところにたどり着き、


夫や友人にも質問したりしながら
しっくりくる明確な答えを
今日まで探し続けてきました










そして今日になって突如
その答えがはっきりわかったのです










シンプルで美しい
明確かつ確信的な答えでした









私が今子育てをしている理由は


娘からのギフトを受け取り
幸せを感じながら生きていくため

でした








そしてそのギフトこそ、


時に私を幸せで満たし、時に苛立たせる
娘のペース(時間)の共有
なのでした











…長くなりましたので
記事をふたつにわけますね☺️