中京区千本丸太町交差点。千本通りはかつて平安京のメインストリートだった場所で、周辺には平安京の歴史を今に伝える史跡が数多くあります。恐らく、京都検定においては基本中の基本的場所とも言えます(笑)

 

その交差点北西側にある公園『内野児童公園』。その入口には石標『大極殿遺阯道』とあり、史跡公園にもなっています。

 

余談ですが、ここが丸太町通りの北側にあるので、え?ここ上京区やろ??と思ってましたが、なんかビミョーなラインが引かれて中京区みたいです(笑)

 

公園の四方は建物に囲まれ、その中央にかなり立派な石玉垣が築かれています。

 

その中央には「大極殿遺阯」とあり、ここが平安京の大極殿のあった場所であることを示しています。

大極殿は平安京の中心、朝廷の正殿で、国家的な儀式や即位の大礼が行われていた場所。言い換えると、平安時代の京都御所と言える場所。現在の京都御所の場所を考えると、かつての中心は今より西だったことがわかります。

この記念碑は明治28年、平安遷都1100年を記念して建てられたもの。
 
 
そして、こちらは現在放映中の源氏物語作者・紫式部を主人公にしたNHK大河ドラマ『光る君へ』でも紹介された史跡。紫式部が活躍した時代の中枢『平安宮(へいあんきゅう)』があった場所。平安宮はかつての大内裏(だいだいり)で、南北10町、東西8町、正門・朱雀(すざく)門など14門が四面に開き、その中にこの大極殿があり、さらに周辺に官衙が建てられていました。

大河ドラマで登場する藤原道長の時代、平安中期には律令体制が弛み、官庁での執務は役人の自邸で行うようになったことで内裏も荒廃し、『内野』と呼ばれるほどに。

鎌倉~江戸時代には宅地化し、寺院も移転。そして、度重なる大火もあり、平安宮の遺跡は市街地深くに埋没し、完全な建物跡は発見されていませんが、内裏内郭回廊跡、豊楽殿跡は国指定の史跡として保存されています。

 

そんな公園内にある遊具には、ここが和歌のさかんであった時代の拠点を思わせるように、百人一首の光孝天皇の歌の上の句「きみがため はるののにいでて わかなつむ」とあり、若干ボルダリング遊具との不思議なコラボを果たしています(笑)

 

この周囲には、こうした案内板も各所にあり、ドラマの進行とともに、かつての様子を想像しながらめぐってみるのも面白いかもしれませんね。

 

 

名称:大極殿跡(内野児童公園)
場所:京都市中京区聚楽廻東町31−3