いのちのバトンと当たり前〜女川・石巻訪問〜 | 大豆戸FC U12&U11活動ブログ

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yahoo!ブログより
2019年5月1日よりこちらに移行します。

いのちってなんだろう。


みんな考えたことあるかな。


答えのない答えを探しに今年も女川・石巻へ。



今年のみんなはなんだかのんびり屋さんが多い。


昨年はほとんどの子がコーチより早かったが、今年は違いましたね!


電車慣れしてるから、やっぱり余裕なんだろうな!


今回の訪問で現地の方にこの話を良くされました。


みんな電車の乗り降りに難しさは感じないんですね!と。



初めはみんなドキドキするし、緊張するもんだ。


横浜という環境がみんなを育ててくれていますね。


生まれた時から身近にある。


良い環境ですね!



新幹線も順調に進み。


仙台での乗り換えも問題なし。


ついに石巻駅へ!


ここは石ノ森章太郎が街中にたくさん。


記念にパシャリ。




石巻駅から乗り換えて女川駅まで。


さあ、ここからは自分の目で見て、肌で感じる場だ。


今までは映像や文字、写真だけの理解だったが、現地に赴くことは理解が今までと大きく異なる。


女川に到着後、荷物を置いてから向かった先はこちら。


『女川いのちの広場』


田村ご夫妻がはご自身と被災された息子さんのことについて、企業防災を観点に活動されています。


いのちのバトン。


田村さんが表現されていたこれ。


こういうことがあった。そうなんだ。


で、終わらせない。


いのちを守るために、伝承していくこと。


バトンリレー。




そして記録だけではなく、記憶に残ること。


みんなの心にはどう響いただろうか。



思ったよりもメモを取る6年生でした。


このメモが帰宅後に家族の皆へ伝わることを期待します。


それがいのちのバトンとなる。





田村ご夫妻のお話を聞かせていただいた後は、


女川町観光協会による語り部を。


女川に唯一残る震災遺構。女川交番。


この交番はみんなの目にどう映ったか。


女川の津波は渦を巻いていたと言われており、


海に対して横向き倒れていました。


どれくらいの力が加わったのだろう。


やっぱり実際に来ることで、様々な考えが頭の中巡る。



本日最後に石巻トレセンさんとの試合。


この日のために作成したユニホーム。


アスリードさんに作成していただきました!



トレセンの皆さんもインフルエンザなどが流行っているようで人数少なく、大豆戸を3チームに。


いつになってもマメマメ対決は好きなんですね。


めちゃ盛り上がってました。



時折雪がちらつくなど、本当に寒かった。


現地の子たちも、さすがに寒いとのことでした(笑)



最後のゲームはミックスにして行いました。


トレセンの皆さんも楽しんで頂けたようで、良い交流となりましたね。



さすがまさむね。


人当たりの良さは大豆戸No1!


どこに行っても友達ができる!



2日目


朝から元気!


最後の遠征とあって、特に細かく指示することなく時間通りに。


成長したなーみんな。



まず向かったのは釣石神社。


この大きな岩が落ちそうに見えて、


落ちないことから学問で有名な神社だそう。


震災の時も耐えたそうで、さらなるパワーが宿ったことでしょう。



そして、いよいよここへ。


『大川小学校』


こちらは子ども、先生が74名が亡くなったり、行方不明となった場所。


津波の特徴が他と少し異なっており、2方向からやってきたと。


海岸までも3km以上。


それなのにこんなにも凄まじい光景となるなんて。


写真で見ていたものとは明らかに違う。



語り部の只野英昭さんのお話全てが胸に突き刺さる。


生き残った息子さんのこと、


残念ながら亡くなってしまった娘さんのこと。


事実が語られなかったこと。


みんなだったら逃げられる?



いつも私たちを楽しませてくれる海が、


本当にこんなことをしたのか。


信じられない。



ここまで来れば助かった。


たった1分程度移動すればよかった。


只野さんからの言葉には悔しさが滲み出ていた気がします。


震災当日は当然先生もパニックになっていたはず。


それでも子どもたちは山に登ろう。


何度も伝えた子もいたそうです。


防災無線も聞こえていた。


なのに、、、



みんなならどうだ?


大人が右だよと伝えても


いや、左だ!


大人の判断を変えられる?



この一件は指導者の私たちも他人事ではなく、


私たちにも充分起こり得ることだなと。


ここに来ていれば助かったいのち。


みんなはどんな思いで話を聞いていたのかな。




大川小学校を離れ次に向かったのは震災の中でも甚大な被害が出た、


『石巻地区』


ここでは復興祈念公園というものができており、すごく広々とした綺麗な場所です。


でもここは元々住宅街があった場所。


津波、火災で全て喪失。


ここから門脇小学校、日和山を回りながら石巻駅まで。



伝承館には私たちの心にグッと来る言葉がたくさん並ぶ。


この震災から私たちは何を学ぶのか。


今までは記録はされてきたが、その記憶や伝えることが不十分だった。


だからこその震災遺構、伝承館。


当たり前。


朝起きておはようと言える家族がいる。


学校に行けば友達がいて、先生がいる。


大豆戸FCに来れば仲間がいる。


みんなにとって普通で当たり前の毎日。



でも、ここに来ると当たり前なんて存在しないって気付かされる。


昨日まであったのに、ついさっきまでいたのに、


話しをしてたのに、


突然なくなる。



みんなの当たり前を守るために、今回もここに訪問しました。


後悔がないように。


みんながやっているサッカーだってそう。


今、目の前の練習に向き合えてるか?



バスの中ではスマホとにらめっこ。


これはコーチが思っていたのとは大きく異なる。


何をしにきたんだ?


今この瞬間にしか学べないものだってある。


画面と向き合っている間にいろんなものを通り越して行った。


なんのためにミーティングをしたのか。


最後に行った門脇小学校に掲示されていたこれ。


この場所に掲示されていなければ何も感じなかったかもしれないけど、


被災した子、この場所。


あらゆるものが心に刺さる。


みんなにとって意味のある時間にしてほしい。



勘違いしないで欲しいのは、重く受け止めることじゃないよと。


これを実際に伝え聞いた私たちは、


次に向けて動き出す必要があるということ。


それが今回出会った女川、石巻の町や人が伝えてること。



時間がなく、みんなの話は聞けなかったけど


今度聞いてみよう。


只野さんが言っていた、自分の意見をはっきりと伝える力。


現地に行った前後では変化したものはあるか?


まずは家族のみんなと時間を共有してほしい。


それがいのちのバトン。