ふつうとは | まるたけえびすに・・

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京都に住む半径5キロの日常

こんにちは。

昨日はだいすきなひとたちばっかりと会えて

すごくすごく楽しかった。途中から入れ替わり立ち代わり(?)共通の友人もいたので、

余計に楽しかった。


ので、午前中ははりきって草ぬきをおもいっきりやったのですが、

オリーブの木にむしっぽいものがついていて、それがたくさんで、

枯れかかっていてすごくへこむ。



ところで、昨日印象的なできごとがあってですね。



「某立ち飲みやさんの瓶ビールは一本300円やねん。すごない?」

という会話から安い、それは安すぎるわー。

と盛り上がったのだけど、


その次に言ったわたしの

「せやろ、でもな、この話を○○さん(ビールのまへん人)にしたら、『え、それって安いん?』て言われてん。

普通瓶で300円っつったらめっちゃ安いやんか!

いやーありえんわー」


といったとき、友人二人に真顔で

「「それはちがう」」

と言われた。


ここでとりあげたいのは瓶が300円やから安いだとかそんなことではなく、


それを「普通」というくくりで言うこと。

自分をスタンダードに仕立てあげて言うこと。


「普通っていう言葉ほどあいまいなものはなくて、たとえばビールをのまへん人2人があつまったら、瓶が300円が安いかどうかなんてわからへんしそもそも、飲みやでのビールの価格がだいたいいくらなんて絶対しらへん」

から、

「普通は自分にとっての普通でも相手にとっての普通ではけしてない」

から

「すべてを自分の普通が普通って思いながら生きるのはナンセンスだ」

だということ。


わたしたちは、常に自分を一番スタンダードとして生活していて、

そして、その他大勢との枠からはずれることを心の中で恐れている。


「普通」がなんなのか、「普通じゃない」がなんなのか、

わからないまま、票の多いほうが普通、のまんま生きている。



そのくくりを、知らない間にまた強固なものにしていた自分に気づいてすごく恥ずかしくなった。

やから、反論する気もこれっぽっちもなくて、

素直にごめんと言った。「でも」「だって」の多いわたしにとっては珍しいことだ。

それと同時に

2人にとても感謝した。


わたしには、ちゃんと、間違っていることを「それ間違ってるよ」と諭してくれるひとが

すくなくとも2人はいる。


いい年していつでも自分のおもいどおりにならないとすねるわたしにも、

ごめんなさいわたしが間違ってました、間違いに気づかせてくれてありがとう。

と言わせてくれてありがとう。




どうでもええけど、お店にいっていっぱいですと断られるのがいやなので、大概は電話で確認。


昨日の第三酒場をきくときの電話。
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3人いけるとのことやったので、


よかったーとか思いながら電話きると
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それこそ普通じゃない非難(笑)


仲良くなったらしますよね?


でもいまだに一人ではたどり着けない店のひとつです(地図のよめない女)


さて、今から学校に自転車とりにいこーっと。