②は、16歳の時『過呼吸』事件
ある夜、もちろん両親いました
突然私は、胸が苦しくなりました
息ができなくなり、両親に助けを求めました
もちろん両親は私に「大丈夫?」等とは言いません
いつも通り完全無視
それまでも子供の私を心配するような人ではなかったですからいつも通り母は完全に私を無視、父は逃げるように他の部屋にとじこもる
私はとにかくあまりに苦しいので息も絶え絶えに「救急車を呼んで欲しい」と必死で母に懇願しましたが…
「どうせ仮病でしょ?救急車なんか呼ばないわよ!近所にカッコ悪いじゃない!」
と椅子に座って茶を飲んでいました
致し方なく、私は自力でて救急車に助けを求めました
父は、部屋のふすまを閉め、息を殺すように静かにし、完全無視
救急車が来ても母は「娘が勝手に呼んだ」と言い、付き添いを拒否
私はひとりで運ばれ
ひとりで検査を受け
『過呼吸』と診断され点滴をされ
ひとりで入院しました
病院から家に連絡はいったでしょうが、もちろん母が来ることはなかったです
次の日に退院したように思います
ひとりで帰宅しました
入院費、請求書等後日送られてきたのか?
払ったのか?踏み倒したのか?
全く不明です
この件で
『もしかしたら、この人達と一緒にいてはいけないのか?』
と思うようになりました
8歳の時の犬の件しかり、私の大切なものを取り上げるだけでなく、私が苦しんでいても助けてくれない人達?
他人でも道でうずくまっていたら声かけるだろうに、娘の私が苦しみもがいていても知らね顔して無視し、全く助けてくれない…
親に対して恐怖が生まれた出来事になりました
救急車の人達も付き添わない母親をおかしいと思ったはずです
例えば、娘が「息が苦しい」と言ったら、まず様子具合を聞き、水を飲ませるとか、気持ちを落ち着かせるとか、背中をさするとかしませんか?
苦しむ人がいたら普通します
実は後に思い出したのですが、父は心臓弁膜症を患っていました
父は49歳(私が18歳)の時に人工弁を入れる手術をするのですが、それまで毎年のように発作を起こしていました
私が8歳の時、寒い寒い冬の夜
父とふたりきりの時、突然父は発作を起こし、たまたまニトログリセリンが切れていて私に「近所の医者、どこでもいいから行き、説明してニトログリセリンをもらってきてくれ」と懇願しました
8歳の私は何もわからず、ただ父の言う事を聞き、寒空の下、薄着に裸足で近所の数件の病院のドアを叩き、涙ながらに説明し、やっと断らなかったDr.を家に連れて帰りました
しぶしぶDr.が父に処方し、父は助かりました
思い出し、過去幼い私は裸足がとても寒かった記憶のあれは、なんだったんだ?
幼い娘は父を助けようと必死になったのに、その娘が苦しんでる時は無視!?
この人達、理解不能だー
でも、両親はこれからまだまだエスカレートしていきます
亡くなった人を悪く言うわけではありませんが、断捨離で事実をここに書きます
細かい事は日々ありましたが、特に卑劣なエピソードだけ
もちろん両親は、尊敬できるところもいっぱいあり、今でも感謝しています
それはそれで別(笑)
いつ頃からですかね
私はある事を決断しました
「この人達と共に生活するなら、いいところだけを見るようにしよう!」
この人達と生活していくにはそれしか道なし
そうしないと憎しみだけしかわかなくなるから…と私は考えたわけです
でもこの考え方は、大正解でした
後に他人との関係もこれがすんなりできたのです
なので、私は他人とトラブル起こさない人生になれました
両親との関係は大変つらいものでしたが、学びも多く、世にいう本当に反面教師という存在でした
⬇️③に続きます
⬇️断捨離したいエピソード③
【強姦未遂事件】