Y君との付き合いが3年を過ぎた頃から、私達の間にはっきりとわかる距離ができるようになりました
もうすでに、Y君のお父さんが私をさけるようになってから1年以上経っていました
特別に待遇してくれて、私をバイトに雇ってくれていたお父さんなのに……
結局は、私の家庭事情に呆れて、私をとにかくY君に接触させないようにと露骨な態度を示すようになっていきました
当時ゆいつの電話での連絡は、一切取り継がない
Y君が、私のバイト先に電話してくるか、私がお父さんが休憩中電話から離れてお母さんが事務所にいる時のみ、1時間足らずの許された時間でするかしかでした
でも、彼と話せることはほとんどなく、お母さんに伝言を頼むという形でした
彼が就職してからは、彼の職場になっていました
そんなある日、こんなことがありました
その出来事は、はっきり覚えています
まるで映画かドラマのワンシーンのような記憶です
彼の一家は北海道出身で、炭坑が廃止になり、一家で東京に出てきたのです
親戚は全て北海道在住
ある日、お父さんの美容師をしているお姉さんが遊びに来ていました
その日は、ひどい土砂降りの雨でした
私も彼のところに遊びに行き、おばさんを紹介されました
でも、おばさんの私を見る目は冷たかったです
もう何かで私を避けているようでした
おばさんと私は、結局最初から最後まで会話を交わすことはなかったです
そしておばさんが帰ることになり、彼が駅まで送って行くことになりました
その時覚えていないのですが、なぜか私も駅まで付いて行きました
降りしきる土砂降りの雨、おばさんとY君が並んで歩いてる後ろを私は歩いて行きました
ふたりが何を話しているかは全く聞こえませんでしたが、Y君は黙って聞いているようでした
Y君の横顔が、複雑だったのが印象的で、私はそれが心配でずっと見ていました
おばさんを紹介された時から、私は複雑に気付いていたのだと思います
私を全く見ないおばさん
私と目を合わそうとけしてしない
駅の改札で、私は傘をさしたまま遠目に距離を置きました
普通なら、改札まぎわまで行き見送るでしょう
でも、私はそうしてはいけない何かを感じたんだと思います
歩いていた時よりも距離はあるし、土砂降りで聞こえるわけもないのに、おばさんはY君との別れ際にY君に何かを確かめるように耳打ちをしました
Y君の反応は、おばさんの言葉にうなずくでもなく、歩いていた時と変わらず同じ、ただ複雑な表情でした
おばさんは、私を見ることもなく、むしろ避けて、Y君にだけ別れを告げ、私に背を向けたままホームにきえました
その様子は、はっきり覚えています
人からそんな風にされたのも初めてでしたし、年上の大人がいっときを過ごした相手を完全に無視するとか、私の中ではありえない行為だったので、非常に悲しい記憶として残ったのでした
私は、土砂降りの雨の中、傘にあたる雨の音の中、全く動かず立ちつくしていました
Y君が私のところへ来て「おやじ、余計なこと言いやがって」と言うようなことを言った記憶はありますが、それについて私はあれこれ問うことはなかったです
せつない、なぜか悲しい記憶です
私が雨を嫌いになったのは、この時からです