難し過ぎる役所の手続き。親・兄弟の住所を調べる方法
過去に「不思議な夢」カテゴリに投稿した記事に記載した内容にもなるんですが、
両親の離婚後、相当年数が経過している為「過去に住んでいた住所」など
覚えている筈もなく、調べようにも現在「家族とは縁を切っている」事もあり
長年連絡を取り合っていないかった父親に手紙を出そうにも肝心の住所が分からない・・・悩(´・ω・`)ドナイシヨ
けれど親族である以上、調べられる方法があると何となく思っていたので
今月に入ってから役所に相談をした。
「過去に自分が居住していた住所の履歴を知りたいのですが・・・」
すると職員からは「過去居住していた住所の一覧が確認できる公的な(ナントカ)物が存在しない」と言われた(苦笑)
仕方なく調べたい理由を簡単に説明した。
母親はこの件を知らないし、今後も伝える事はない事、出来れば知られたくない事も伝えた。
すると「私の本籍地が分かれば、そこから辿っていく事は可能」と言われ、
先ずは自分の住民票をその場で発行してもらう。
費用300円。
続けて現在手続きしている役所で出来る限りの手続きをしてもらった。
※専門用語が分からない為、簡単に書く事にする。
①父親の本籍が記載されたもの(全部事項証明と記載されている)
(記載されている内容)
・父親の出生地、誕生日、両親の氏名、続柄。
・配偶者情報
再婚している為、配偶者情報も上記同様の内容が記載されている。
②母親の本籍が記載されたもの(全部事項証明と記載されているがよく分からない;)
書式が古いタイプのものだったので別物かと勘違いしていたけど
記載内容としては①と全く同じ内容について各々記載されていた。
ちなみに補足すると、上記①、②の証明書もこの時点では
現在の住所までは分からない。
※本籍=現住所とは限らない為だと思われる。あくまで予想だけど。
その為、先ずは母親の本籍を調べる為の
④「全部事項証明書」を更に発行してもらう。
(記載されている内容)
・②と全く同じ内容
※②との違いは本籍がどこか(住所)が記載されている点と、
「離婚後の現在の情報が記載されている」そんな内容でした。
予想以上に結構時間がかかったが現役所で出来る限りの事を調べてもらった。
(色々と確認の電話を入れたりする必要があるので時間がかかると言っていた)
ここまでの費用:約2千円(苦笑)
続いて、④同様に父親の現住所を調べる為には「戸籍の附票 1通 300円」を取り寄せる必要があるらしい。
「ここでは対応できない為、(父)本籍の役所に直接行くか郵送での手続きになる」とのこと。
勿論、郵送手続きを希望の為、申請書みたいな紙をもらい書き方を教わるw
対応がめっちゃ丁寧で助かった。
後日、郵便局で定額小為替300円と手数料200円。
往復分の郵送切手84円×2枚で約700円。
身分証明書のコピーとしてマイナカードのコピーを同封。
今回は現住所だけが分かればそれでよかったので申請書には「一部証明」に〇を付けました。
ポストに投函してから2週間もしないうちに郵送で送られてきた。
まだ書いてないのですが、今日この後書く予定。
母親への忖度は無しで、正直に自分が今思っている事を伝えるつもりです。
気を付けなきゃいけないなと思っているのは「不平不満の内容にならないように書く事」。
勿論、父親の過去を美化するつもりはないので、そこも押さえた上で思っている事を素直に書きたいと思ってる。
母親からしたら当然の心境だと思う。
ましてや子供が3人以上もいて全ての子の養育費を1円たりとも
払ってないのだから…
払うつもりも毛頭なく「払えない」の一点張りで済まされたと母親からは聞いている。
けど今だから思うけど、家庭裁判所とか調べたら色々と方法があったように思うんだわ…
どちらが悪いという話をしたい訳ではなく、片側の言い分だけを鵜呑みにする事の危うさを
離婚前後、特に感じてきたので自分の目と耳できちんと確かめたい。
特に父親に関しては恐らく「自閉症」っぽい所やASDの特徴としておなじみの
思った事をそのまま言葉に出してしまい周囲の反感を買うという所が昔からあったので
今振り返ると相当生き辛かっただろうなとすら思えるようになった。
父は父なりに頑張っていた気がする。
その臨界点が私らの反抗期の時期と重なり一つの節目になったように思える。
客観的に見てそう思う。
子の親になった瞬間に当たり前に求められる「親の素質」。
けど子供ができたからといい、産んだからといい、その瞬間から誰でも完璧な「理想の親」になれる訳じゃない。
人それぞれ成長度合いというものも違えば、生まれてきた時点の魂の精神年齢だって違う筈。
劣っている部分を一方的に責めるのではなく、
今、目の前に現れた課題にきちんと向き合っている事を評価する事や
相手を理解する事は物凄く大事な気がする。
(正解か間違っているかなんてその時は誰も判らないんだから)
それが受け取る人によっては許容できないと感じたり、
それが故に時間を要する必要があったり、
白黒はっきりしている単純明快な課題なんて
案外少ない気がするんだよな…
複雑に色々なものが絡み合っているからこそ人は頭を抱え悩むんだろうし、
そこに答えを見出そうと奮闘しもがくのだと思う。
相手を評価するという「尊重」は親が二人ともASDだったらそもそも出来ないからな;
相手を理解する事も共感性が低い為、相手の立場になって物ごとを考える事が
非常に困難だからこそADHDやASDは本人にしか分からない特有の悩みを持ってる事が多い。
私の家にはあの時「時間が必要」だった。
物事を客観的に見る能力が備わっていなければ、30歳を超えても親の呪縛から
逃れる事は難しいだろうね。
実際に私以外の兄弟や母親がそうであるように…。
今の自分の考えは本当に中立なのだろうか?
無意識に親の顔色を伺った反応をしていないだろうか?
子供ながらに生き延びていく為の術として、それをいつしか「自分の考え」だと錯覚するようになる。
いわゆる認知の歪みが起こってくる。
感情に支配されずに第三者視点で物事や自分を見る事は
今後、人生でどのような選択をしていくかにも大きく影響してくる。
この基礎(土台)を築いてくれたのは父親だった。
その一方で私自身、親や周囲から褒められた記憶はわずかしかなく、
ほとんど褒められないで育ってきたから無意識に「褒められたい」と思って行動している事があるようで…
自分では気づけていないんだよね。。
けれどよく考えたら私も父親に対して
「褒める=感謝の言葉を伝える」という事をしてこなかった気がする。
何故、今になって「褒める」「褒められる」という事に視線が向くのだろう。
それは少し前に聴いた緒方恵美さんの著書「再生(仮)」に繋がる。
以前から気になってはいたものの、中々行動に移すまでいかず(タイミングってあるのかも・・)
今月ようやく拝聴させて頂いた。
沢山の内容に驚愕しつつも、私は緒方さんみたいに優秀でもなければ
頭の回転が速い訳でもなく、記憶力も良くはない。
だからこそ自分自身に対しての評価は常に「自分は出来ない」という考えが根底にあったし、
親からも周囲からも褒められない訳だからずっとそう思い込んできた。
昔の事を思い出してみる。
距離を置くまでの母親との会話。
私は常に「出来ない人間」だと思って生きてきたからこそ
何事にもチャレンジして人一倍努力してきた節がある。
けれど、もしかしたらそれ自体が違っていたのかもしれないと思う事が幾つか思い浮かんできた。
母親の私に対しての印象は
「ちゃっかり(しっかり)している」だそうで。
30半ば過ぎて初めて聞いたわ・・
その言葉を聞いた当初は「はぁ?何でそうなるんだよ・・」と言ってしまったが
実に本心だった。
どこをどう見たらそのように映るのか、そのように捉えられるのか。
そもそも母親は私のことを真正面から見た事が一度もない。
本当の私を知らない。
だから一時的な印象を持ってるのだと推測する。
私立の幼稚園に通っていた時にお遊戯会があり、同じ組の女の子達で
踊りの練習があったのだけど「何故こんなに難しいんだろう・・・」と負の印象しかなかった。
8ミリビデオを見返してた際に「難しいと感じていた原因」に気付いた。
ほとんどの女の子達は後半になってから合流するように
途中で参加してくる中、私ともう一人のべっぴんさんの女の子が
二人だけで半分以上の尺を踊っていた。
そりゃー・・・難しい訳だよ;
覚える事沢山あるんだもん。。
当時、私の組を担当していた女の先生は
どのような観察眼で私を選んだのだろう。。
めちゃくちゃ気になる…。
少なくとも物覚えが悪いと思われていたら
選ばれていないよな・・
もしかしたら気まぐれの可能性も??
今となっては不明だけど。
突出して優秀という訳ではないけれど、
当時の大人達からしたら「これくらいできるよね」?
という捉え方をされていたのかもしれない。
そんな事に気付いてから少し自分に対しての見方が変わった気がする。
この件以外でも少し前から薄々気付いてきてたけど
緒方さんの本でトドメをさされた気がするw
私は自分が思っている程、できない人間じゃない。
むしろ「できる」と思われていたからこそ、できても「当たり前」と思われて
褒められなかった可能性が自分の中で浮上中。苦笑
例え思い込みであったとしても、それで物事を前向きに捉えられたり
何事にも臆することなくチャレンジできたりするなら良い意味で
自分に対して洗脳できてて結果オーライなのではないだろうか?笑