Hozu ままやの桑の実コンフィチュール

(ママンチュール)物語

 
5月31日の夜遅くに京都から岸和田に帰宅する予定が、
気がつけば,
皐月は千秋楽を過ぎ、
岸和田に到着すると水無月に変わっていました。
 
はやいなあ~。
そして、昨日一日は桑の実収穫に力を注ぎました。
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大木なので、高い所にたわわに実っています。
大きな脚立の上にのり、
こわいなあ~と思いながら
美味しそうな桑の実の魅力にまけて、
高いところに手をぎゅーんと伸ばしてしまいます。
 
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昨年はその大きな脚立から落ちたので、
ちょっと高いところに登るのが今年は怖いのです。
 
落ちたところは土の上でしたので、
運よく、骨折はせず、痛いうちみのあざだけで、すみました。
(土は優しいですね、コンクリートの上に落ちたなら、骨折だったと思います)
 
今年は
落下したせいか、老化のせいか、
高いところに登るのが怖いですが・・・
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田んぼを頑張っている、
まるたま食堂さんにも無理言って、
軽トラで来てもらって
桑の実の収穫応援部隊となって、
手伝ってもらっていました。
 
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そのおかげで例年の3倍以上の収穫ができそうです。
感謝です。
ありがとうございます。
 
さてさて、この大きな桑の木の物語を少し・・
 
戦前は養蚕業が盛んで、
桑の葉は蚕(かいこ)の大事なエサとして、
絹の生産のため日本各地に戦前までは
あちこちに桑の木が植えられていました。
 
しかし、戦後、高度経済成長期とともに
養蚕業はすたれていき、
桑の木も、どんどんなくなっていきました。
戦後生まれの高度経済成長期とともに成長してきた私にとって、
桑の木を見たこともなかったのです。
 
26歳の時の小笠原母島一人旅でお世話になった民宿ままやさんの
お庭に桑の実がなっていました。
 
その民宿ままやさんではじめて桑の実を食べました。
美味しかった!
 
小笠原の桑の実の画像です。小笠原では3月と9月の2回実ります
 
その桑の実の甘酸っぱさ、みずみずしい美味しさが忘れられず、
結婚したときに
庭師さんにお願いして桑の木を畑に植えていただきました。
(もう28年以上も前です)
 
その時に庭師さんがこう言われていました。
桑の木の苗を探すのが一苦労でしたと・・
その頃は、人気のない苗木だったのでしょうね。
今はマルベリーという名で時々ホームセンターでもみかけますね。

 

そして 植え付けてもらってから、約10年以上、桑の木は病気と闘い、

ほとんどの実は真っ白になって落ちていき、

いつしか私は桑の木のことをすっかり忘れていました。

 

 

しかし私がままやとしてコンフィチュール作りした時に

桑の実を思いだし、見に行ったら、

病気で真っ白になっている桑の実の中に、

美味しそうに実っている桑の実もあったのです。

 

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美味しそうな桑の実だけを収穫して、

ママンチュール(コンフィチュール)にすることを続けていくと、

毎年、毎年、どんどんと実りが良くなり、

病気になる桑の実の数が年々減っていきました。

 

 

今年は、

この桑の実をつかって美味しいコンフィチュール(ママンチュール)を

たくさん作りたいと思います。

 

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イベントがない間は、

京都のすみれやさんと、近所の愛彩ランドさんに桑の実のママンチュールを

販売していただこうと思っています。

 

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また、ひそかに桑の葉茶を作ってみようかと静かに

企んでいます。