一昨日、73歳の男性が1歳の女の子を車で轢いて幼い命が失われた。
そのニュースをネットで見て親御さんの気持ちを想った。
可愛い盛りの我が子を、何の罪もない愛娘を奪われたご両親の悲しみや怒り、ぶつける相手は警察に身柄を拘束され、裁きを受けるのを待つのみ。
私の息子は遺書ひとつなく自ら命を絶った。
誰も責める相手がいない私は自分を責めてしまう。
母として完璧ではなかった。
そもそも完璧な母親とは一体どういった母親なんだろう。
だけど私は確実に息子を愛していた。
『接吻』という曲で売れた、ORIGINAL LOVEというアーティストがいる。
彼らの曲に『プライマル』という素晴らしい曲があって、歌詞の中に「愛は命よりも前にあるから」とある。
私はこの歌詞の意味がずっとわからなかった。
息子が生まれて、やっとその歌詞の言わんとしている事がわかった。
よく"命の次に大事なものは?”等と訊いたりするが、若い頃は携帯電話だったり、友達だったり、まぁ、それは人それぞれだと思う。
息子が小学五年生の頃、私は障がい者の介護の仕事をしていた。
その日の業務を終え、帰る準備をして危うくスマホを忘れるところだった。
急いでロッカーを開けて「あっぶねー!命の次に大事なもん忘れるとこやった!」とポケットに突っ込むと、彼女は「あれ?命の次に大切なものって息子さんじゃないの?」と訊いてきた。
私は間髪入れずに「あの子は私の命よりも大切!」と答えた。
車に乗って家路を急ぐ。
その時にプライマルの歌詞がふと浮かび、あ…なるほど。自分の命よりも大切なもの、それは愛であって、異性間に芽生えるチープなそれではなく、もっと深いものなんだと一人納得した事を覚えている。
昨夜は親友とバーに行った。
客はみんな帰って、ママと私たちだけ。
つい息子の話になって、私が日頃なるべく泣かないように過ごしている訳を話した。
私がいつまでもメソメソしていたら息子は私の事が心配で、自分の選んだ道を後悔するだろう。
死んでからも苦しむ事になるだろう。
どんなに泣いても喚いても二度と彼には会えない。
だからせめて私が泣かないで一日一日を生きていく事で彼に安心してもらいたい。
とは言え、私も人間だし、たまには涙を流して心を浄化しないとヘドロのような気持ちが蓄積されていく気がしてならない。
会いたい。
話したい。
笑い合いたい。
一緒に食事をしたい。
旅に行きたい。
何一つ叶うことのない夢。
息子を失った怒りはまだ私自身へ向けるしかない。
彼のいない空虚な世界を生きていくことが贖罪なのだから。