こんばんは、今日はまだお昼ですので、当然まだ飲んでいません!きっぱり。
娘小6に昨日突如緊急報告?をされ、少し動揺しています。
情報通のAちゃんに聞いたんだけど、クラスのBちゃんとCちゃんが次のいじめのターゲットを私に決めてるんだって。「落とすリスト」の一番上に私が入ってるんだって。でも私落ちないつもりだから。一応ママにも言っておく。なんかあったら相談するからね。と。
情報通のAちゃんがなぜそういうことをわざわざ娘に教えてくれたのか、そしてそれは本当にやりとりされた会話なのか、は別として、この「落とす」というのは、「不登校になる」まで手を緩めずいじめつづける、という意味だそうです。おおおおーこわい!
いえ、本当に笑いごとではなく、現に昨年はある男子がその女子チームの一派のターゲットとなってしまい、その子は結局5年生の1年間ほとんど登校できませんでした。
あくまで娘に聞いた話ですが手口はかなり卑劣なようです。その子の悪口を少しずつ広め、クラスの一人残らず賛同者にしてしまうまで徹底的に続けるのだそうです。一人、また一人、と抱きこんでいくので「落とす」という表現を使うことにつながっているようです。
親としてこんなときどんな言葉をかけたらいいのでしょうか。
自分は未熟者だなと思うのはこういうときです。
昨日の私は絶句してしまい、何にもいい答えをすることができませんでした。
「なんか困ったことがあったらすぐママに言って、すぐ学校行くから!}としか。
でも娘はすっかり戦闘モードらしく、「あたしは落ちないつもり!」ときっぱり。「なにかあったらすぐママが先生に相談してくれるならそれでいい」と。
もちろん親ですから自分の子が一番かわいい。
その子たちが本気でそんなこと言っているなら、そんな子たち、お母さんたちも含めて「大嫌い」です。めっちゃ軽蔑します。
実はある授業の一環で、娘のクラスで出前講座をさせてもらいました。
その時に見た子どもたちのかわいい、顔、顔、顔。
あの中にそんなこを考えたり、友達と相談し合ったりしてる子がいるなんて考えられないのです。
どうやったら、その子たちを嫌いにならずに(娘も含めて)、その子と行動を切り離せるだろうか。
いつしか関心は私の最近のテーマ「人は人を軽蔑する権利はあるのか」につらつらとうつってきています。
罪を憎んで人を憎まずとはよく言いますよね。
果たして人は人を嫌ったり軽蔑したりする権利はあるのでしょうか?
となんとなく検索をしていたら出てきたのが、中島義道先生の「ひとを”嫌う”ということ」(角川書店)の紹介記事にいきあたりました。
以下一部引用させていただきます。中島義道先生は知人から聞いて最近一番気になっている方で、ちょうど「明るく死ぬための哲学」を読んでいたところだったので、ご縁を感じました。
ひとが人を嫌う理由は大きく8つだそうです。
(1)相手が自分の期待に応えてくれない
(2)相手が現在あるいは将来自分に危害(損失)を加える恐れがある
(3)相手に対する嫉妬
(4)相手に対する軽蔑
(5)相手が「自分を軽蔑している」という感じがする
(6)相手が自分を「嫌っている」という感じがする
(7)相手に対する絶対的無関心
(8)相手に対する生理的・観念的な拒絶反応
記事によると、「中島氏いわく、ほとんどのケースは(1)が基盤となり、(3)ないし(4)へと移行していき、最終的には(8)へと発展していって「嫌い」は完成されるという。「嫌い」という感情に翻弄されそうになった時は、上記8つの要因のうち、どれにあたるのかをまずは観察してみよう。人を嫌いになることや、人に嫌われることを客観視できるようになれば、気持ちがグンと楽になる。過剰に自己嫌悪に陥りがちな人や、人にどう思われるかが不安で好きなことができないという人は特におすすめだ。」とのこと。
気持ちがだだ漏れてしまう私たち親子は、どこかで人に嫌われる要因を作っているかもしれませんし、私たちだって一方的に人を嫌いになることもあります。でもこれが自然な感情なんだ、っていうことをなんとか小学生にも分かるように伝えられたらな、と思います。
かくいう私も、つい最近、お世話になってきた経営者の方と意見の食い違いがあり、まさに職を変えんとしているところです。でも、今にして思うと、相手に勝手に期待していたのは私であり、向こうはそれまでの経営スタイルを変えたわけでもなんでもなく、苛立ったのは私の勝手、というところが実際なんじゃないかと、冷静に今は思えます。
40過ぎてもこれですから、ほんと、人生は日々課題との向かい合いですね。
そこから逃げずに引き受けるようでありたいと思います。
