子どもが分からないのは誰のせいだろうか?

それは間違いなく、教える側の責任です。

僕が初めて塾で授業をしたとき、完全に逆のことを思いました。

生徒が分からないのは、この子たちの能力がたりないからだ


もっと、賢い子たちなら、教えることができる。と自分で思ってました。完全に間違いでした。
分からないのは、僕にスキルがないからです。それに気づくのにそんなに時間はかかりませんでした。謙虚さだけは負けません。先輩の授業をみながら、自分に何がたりないかを日々勉強していました。

子どものことを良くみて、きちんと分からないところをひろってあげる。ピンポイントで教えてあげる。など多くの技術を盗み、実践していきました。
いかに、集中して子ども達が考える時間をもってもらえるか、毎日毎日考えました。

すると、ファンが増えてきて、「ふるやまん」という言葉も生まれました。
今では授業に絶対の自信があります。自分自身が一番授業を楽しんでいます。

先生は優しい、楽しい、でも厳しい。

こういう先生が理想です。低学年の授業は特にそうです。この時期に算数が嫌いになってしまうと、一生算数嫌い。めんどくさいになってしまいます。

だから、低学年のうちは、手を動かして考えさせます。抽象的な計算も大事だし、早い時期から数式の操作に長けている人もいます。

でも、僕はやはり手を動かして実践している人の方が強いと思っています。

「数える」という算数の入り口をきちんと大事にしてあげたいのです。

分からないと子ども達がいっても安心できる塾でありたいです。
先生、いまの説明分かりませんと言えなくてもきちんと表情で判断して、また次のアプローチで伝えることができるのも映像授業にはない、ライブの魅力ですよね。

少しずつですが、前進しています。それでいいと思います。
また、それを感じられるから教育は本当に幸せな気持ちになるんだと思います。

来週も頑張ろうね。