心の学校の教科書を作るにあたり、
宇宙論を
数学やら物理やらの眠気と戦いながら
理論的に勉強していたら、

自分がいまここに居る感覚

コレ自体が『愛』といわれるものじゃないかと
思い始めた。

深み。

いつもついてきて、すぐそばにあるゆえに
自分が見る世界の全てに投影しているもの。


ディマティーニの世界を勉強している時に、
愛とは統合   みたいな概念があったけれど、
それも表現を変えただけの同じことで、

幻を消滅させた時に浮き彫りになる
結局のココ。

それが、自分がいまここにいる深み。

瞑想とかあんま私はしないけど、
それも同じことかもしれない。

日常に埋没したこの 当たり前の感覚。

これが本当の意味で私の存在する場所に違いない。

この当たり前を意識して捉えなくてはいけない。




自分がイメージで作り上げてきた世界に
とっくの昔から私は1人。
イメージ以上の他人と出会うこともない。

そうか、
だから新しいイメージがいるのだ。

自分というイメージそれからして幻なので、
もっと違う自分の位置。
それをまず知らなければいけない。

人の認識が変われば、世界は変わる。

個人的なレベルではなくて、新しい歴史ができてゆく。

そんな全く新しい世界を、
子供たちと創ってゆきたい。

U理論が、自分の位置を
ルービックキューブの一面に例えて、
何か問題が起きた時に問題解決しようとしても
(つまりルービックキューブでいえば、
全面揃えようとしても)
6面の相互の絡まり合いから、
1色揃えれば他の5面がぐちゃぐちゃになる
みたいなこと言ってて、
秀逸な例えだな!と感じたのだけど、

物理が観測者の位置を無視していることも、
他人を第三者的な意見のふりして批判することも、
自分のしたいことがわからないと悩む人も、
ぜんぶ同じことだ。

『自分の位置』が抜けている。

自分の位置は、
説明できる。

自分の位置でないものを明確にし、
実際にそこにあるものを正しく見たときに、
自分の位置はわかる。

やはり、教科書はここからかな。

というかむしろ、ここだけでいいのかもしれない。

ここから先は、みんなでワイワイ
創っていくのが楽しいところだから。