子供を寝かしつけ中、他に出来ることも無いから

内省してた

 

私の一番欲しいもの欲しかったもの・・・

昔から欲しくて欲しくてたまらなかったものを思い出していた・・・

 

それは”守られているという絶対的な安心”

これがどうしても欲しかった

この世界が安心安全だと感じたかった・・・

 

小さな時からどれだけ安心が欲しいと望んだか。

助けてくれるのを守ってくれるのを支えてくれるのをどれだけ渇望したか・・・

 

本当は親との関係でもらいたかった

が、貰えなかった

昭和特有と言うべきか・・・全てに厳しく、なんなら苦労をわざと経験させているような、親が自分で手いっぱいで子の支えまでする余裕の無いような・・・

そんな感じだろう

 

兄もいるが私には興味がなくむしろ疎ましく思われている様に思っていた。

もちろん助けて貰った事は無い。兄は助けてくれるものだと考えたことも無い。

大きくなるにつれ自分も兄が大嫌いとなる

今現在、兄とは積極的に疎遠となる。いや自分が積極的に避けている。

 

そんな親や家族の成果か

不安の中で生きて来た

助けて欲しい時、誰も助けてはくれなかった。

安心が欲しい時、誰もサポートはしてくれなかった。

 

骨の髄まで沁みている

 

そしてそれが当たり前になり

誰も助けてはくれない世界だと認識して絶望して、生きるのに歯を食いしばらないと生きれないぐらいになった

 

隣で寝ていると思っていた小学生の男の子が私の頬にキスをしてくれたびっくり

夏休みで子供と一日中一緒にいることに

イライラしていたし、「早く学校が始まってー」と思っていたけど

 

2人の子供たちは、手がかかるが

自分をとても愛してくれて大切に思ってくれているのは間違いない。

子供からの愛に自覚はあるけど自分が大変すぎて心に余裕が無く、愛情まで感じるのにハードルがあった

主人も色々不満もあるが、ただ一人優しくしてくれ自分を認めてくれた人・・・

(優しい友人も少々はいるかな・・・)

 

欲しかった”安心”は

”今ここ”に、”この家”に有ったのかも・・・と思えた

自分が築いた新しい家族の中に

 

自分を内省して、自分を感じたからこそ気づいた事、感じた事

そして自分を内省と言うか、自分に向き合って感情を感じないと気づかない事

 

自分には苦しい感情しかないから感じたくないって思いが強かったけど

 

良い気づきも自分に向き合うことでしか見つけられない・・・

 

だから自分を取り戻すこと、自分を感じる事が大切なんだ・・

 

自分の中にしか答えは無いって本当かもびっくりマーク

 

せっかくの幸せ・・・感じなくては・・・

愛されているって自覚し、その思いを大切にしたいなと

思いました