こんにちは!Sammieこと うがいまさみ です。
子どもたちの冬休みも終わり、ホッとしている親御さん、私だけじゃないですよね??
今回の冬休みはがんばって、USJ→ パパの実家→ team★Lab と2娘たちと大いに満喫しました。
が、しかし!
私自身は正月早々、鼻風邪をひき、次女ちゃんを抱っこした途端に背中を痛めてしまい、
トホホな年明けでした。
(去年も、年明け早々スッ転んで、ケガしたっけなあ・・・)
(ご近所さんの神社にも、みんなで初詣に行きました!)
さてさて。
昨年は、危うく海外へ引っ越ししそうになったり、Facebookを通じてたくさんの人とお会い出来たりと、いろいろありました。その中で私は、「傾聴」という言葉をたびたび意識するようになりました。(昨年5月のブログにも、ちょこっと書きましたが)
ちなみに「傾聴」とは、
もともとカウンセリングにおけるコミュニケーション技能の1つ。
傾聴の目的は相手を理解することにある。
それにより、話し手が自分自身に対する理解を深め、
建設的な行動がとれるようになるようサポートする。(コトバンクより)
簡単に言えば、「相手の話を聴く」ということ。
でも、当たり前のようで、やるとなるとなかなか難しい姿勢ですよね。
ではなぜ、日本語教師を目指している私が、「傾聴」に興味を持ったのか??
今日はそのきっかけについて書いてみようと思います。
●Aさんとの深い深いお話しに…
以前、外国人ママのプライベートなお話しを伺う機会がありました。
それは、日本人・外国人に限らず共感できるものもありましたし、日本人としての経験から「こんなふうにしたらいいよ」などアドバイスができることもありました。
ところが、一度だけとても困惑しどのような姿勢で話を伺ったらよいか、分からない出来事がありました。
仮に、この話の女性をAさんとしましょう。
彼女は東南アジア出身のイスラム教徒のママさんでした。日本語のレベルはかなり高く、Aさんと彼女の日本人のお友達、そして私の3人でお話ししていても、特別な配慮のいらないぐらい上手な日本語でした。
何度か3人でお会いしているうちに、Aさんはある日ご自分の宗教観について、熱心にお話しされたことがありました。
それは、「愛することはどんなことか」、「自分にとっていかに家族が大切な存在か」、そして「幸せな死とは何か」にまで話は及びました。
私は彼女の熱い口調と深い内容に、すっかり飲み込まれてしまいました。
(スイレンの花言葉は、「清純な心」「信頼」「信仰」。 写真はteam★Labにて)
でも恥ずかしながら、私のイスラム教に対する知識があまりありませんでした。
あんなにAさんが熱心にお話しされたのに、私はただただうなずいて聞くしかありません。
残念ながらAさんは、2月に母国へ戻られるということでしたので、たぶんもうお会いできないかもしれません。
ただあの時、私はしっかりと彼女の話を聴き、受け止めることができたのだろうか?
Aさんは、私たちのと会話で何を伝えたかったのだろうか?
今でもとても気になるのです。
(つづく)