次の本を書こうかと・・・(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ | mamanmiyuki's diary

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mamanmiyuki(ママンミユキ)のブログ

あっという間に2023年も終わり年が明けましたね~。

明けましておめでとうございます。


年末年始は、クロスのご注文もいただいてたので、年越しそばや簡単なおせち、お雑煮作り以外は、いつも通りちまちまと縫い物をしてました。

それと、毎年お決まりのコースで、タロットや本・グッズなんかの在庫調べをして棚卸しをして、確定申告のための帳簿を入力したりなどしつつ、そんな中で、ペーパーバックの解説書やミニの6刷りのタロットはおかげ様で完売ということに。ミニの初版も、私の手元の在庫はあと1個を残すのみとなり、あの1,000個作ったばかりのときには、売り切るのはいつのことやら~なんて思ってたのを思うと、いろいろと感慨深いです。

そんなこんなな毎日ですが、タロットや本は、今後の販売の方針もだいたい決めていて、特に急いで次を作らなきゃと慌てて検討する必要もなくなったので、近頃はわりとのんびりと過ごしてました。

 

そして、私もいつのまにやら今年は還暦!

いつまでも女子中学生の気分でいるのになんてこった!な感じなんですけど、この歳まで年齢を重ねてきて自分の人生でのいろんなできごとが実例として使えるようになったのと、タロット作りもようやく完了したことで気持ちに余裕もできたっていうこともあって、最近また西洋占星術の検証熱も再燃していて、あれやこれやとやり出したら面白くて中学時代の続きのような形で、占星術の勉強も再開してるんですね。
それと、出生時間がめっちゃ正確にわかってる息子も3人いて、それを比較検討するのも面白いですし・・・。
中学生の私には、未来予測の技法なんかは、それでほんとにちゃんとわかるの?って半信半疑のものも多かったんですけど、二度の結婚・離婚や、タロットの制作や個人事業開業・・・みたいないろんな人生の節目のイベントもあった今となっては、自分という検証できる実例があるので、すごく興味深い検証ができて、すっかり楽しくなってます。

 

それと、タロットのほうも、もともとタロットの瞑想をしていて、もっと瞑想のしやすいカードがないのか・・・ってとこからタロット作りが始まって、そのあと完成にたどり着くまで10年怒涛の制作生活で、すっかりタロットの瞑想にもゆっくり取り組めないままになってたのが、ようやくまた落ち着いて取り組める気持ちの余裕も出てきました。


それから、最近はマルセイユタロットやミンキアーテタロットなどの関連書籍も増えて、そこで目にした図像学の本iconologìaに書かれている内容や挿し絵が、すごくまたいろいろタロットについて考えを巡らすきっかけになったんですよね。
現代の日本にいる私たちには、中世の時代のヨーロッパの人たちが当たり前に知っていたようなことがわかりにくかったりするわけですが、タロットにはそういうことも描かれていたりして、それが当時の図像学を知ることで、あーそういうことね!と実感できたりするんですね。
そんなわけで、すっかり古典マルセイユの時代の図像学にものめり込んでるんですけど、あらためて知れば知るほどピエール・マドニエ版の奥深さをますます感じて、おおーっ!と興奮してるんですね。
絶妙な象徴の描き分けは、ほんとに感動するレベル。

ピエール・マドニエ版の作られた当時は、文字の読めるのは一部の知識人やお金持ちの人たちだけで、だからタロットを作った人たちは絵を見るだけで誰でもわかるように細かい部分まで描いていたはず…と思うので、タロットの解釈にカバラや魔術の知識が必要だというのは解せないと、これまでも常々思ってました。
そして、日本でずっとライダー版タロットばかりが取り上げられて、マルセイユタロットはほとんど認知されてこなかったっていうのは、アメリカの文化がもてはやされる風潮からイギリスとフランスの確執までさかのぼるんじゃないかなと思ってたんですけど、それだけじゃないなと、やっぱり、キリスト教と仏教(密教)との相容れない宗教観の違いみたいなのにいきつくんじゃないかと・・・。
前からそれは感じてたことだったんですけど、図像学にのっとってあらためてタロットをもう一度細かく検証していくと、さらにそれを確信した感じでした。

タロットは西洋のもののはずなのに、なぜ仏教(密教)が出てくるの?っていう疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれませんけど、神様には、人間が作った世界の国境など関係ないですし、ギリシャ・ローマの神話の神々は、呼び名こそ違っても、密教の世界観ともとても親和性があるんですよね。

これは、たとえば地域猫なんかに、いろんな人がそれぞれ勝手に好きな名前をつけて呼んでるのと似てるかなと思うんですけど…。

 

最近は、タロットがブームになったことで、だいぶマルセイユタロットも日本でも認知されてきて、ようやくマルセイユタロット関連の書籍も増えてきて喜ばしいことだと思ってます。おかげで私のタロットや本もまたじわじわ売れてますし・・・。

でも、新しく出版されたマルセイユタロットの本の中には、マルセイユタロット…と謳っていながら、実は挿し絵だけはマルセイユタロットだけど、ライダー版向けの内容を多少書き換えただけみたいなのもあって、それだと、せっかくマルセイユタロットに興味を持った人がマルセイユタロットの醍醐味や魅力を味わう妨げになってしまって、「なーんだ、ライダー版とたいして変わんないなー」なんて思われてしまうよなーと、とても残念に思ってるんですね。誰の何ていう本かって具体的に言うと個人攻撃になりそうだから、そこは伏せときますけども・・・。

もちろん本との出会いも縁だと思うので、そういう本が最初の出会いになってしまう人がいるというのもしかたないのかなとは思うんですが、でも、その人がそれっきり、やっぱライダー版でいいやってなってしまうとしたら、それはもったいないなーと思うんですね。

出版社としては、今話題のマルセイユタロットの本も出そう・・・くらいの軽い気持ちなのかもしれませんが、マルセイユタロットに詳しくない人の書いた、マルセイユタロット風のライダー版の本をマルセイユタロットの本だと謳って出されるのは、かえって迷惑だなというのが正直な感想です。

 

実は私は、小学生・中学生のころは最初に読んだ安西輝晃先生の「愛の星占い」をきっかけに西洋占星術に夢中になってたんですけど、その後もっと詳しいことを勉強したくて他の本も探したものの、安西輝晃先生の著書はこの1冊だけで、しかたなく他の人の占星術の本を読んだりしてました。そして、結構有名な先生の分厚い本を読んだときに、なんかよけいに謎が増えてしまって、もういいかな・・・とトーンダウンしていったん占星術から離れてしまったんですね。私より年齢層の低い人はその本をきっかけに占星術に興味を持ったという人が多いらしいくらい有名なものでしたが、私はこの本が原因でしばらく占星術から遠ざかってしまいました。のちに、この先生は、ご自分の師匠に敬意を表して、ご自分の独自に研究したものではなく師匠に教わった説に沿ったものしか出版されなかったらしいというのを聞き、あーそういうしがらみのようなものがなかったら、もう少し違った内容も教えてもらえたかもしれないのにな・・・と、残念に思ったりしたんですね。
そういう経験が、私がどの先生にも師事せず独学でやっていくことにつながったのかもしれませんが・・・。

ただ、この話はあくまでも人から伝え聞いた噂話であって、ご本人に直接確かめたわけではないので、この話自体もまた正しい話ではないかもしれません。

 

これは極端な例ではありますが、自分の求めてるものがなかなか手に入らないために回り道をしてしまうことってありますよね。

そう思うと、やっぱり、せっかくマルセイユタロットに興味を持った人が回り道しないように、ちゃんとマルセイユタロットの本に出会えるようにしたいなーと思ってしまいます。

 

大きなくくりでいえば、「タロット」というジャンルでは同じ仲間にはなりますが、マルセイユタロットは、ライダー版タロットとは明らかに解釈も使い方も違いますよね。それに、使われてきた歴史という点でいえば、マルセイユタロットのほうがだんぜん長いわけです。それなのに、日本では先にライダー版のほうが取り上げられて有名になったからというのもあって、マルセイユタロットはあまり知られていなかったんですよね…。


例えば、タロットに出てくる「悪魔」と「塔」のカード。現存する最古のタロットのひとつでマルセイユタロットのもとになったとされているヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットでは、この2枚は紛失していて現存していないということで、あらたに別の人によって描かれたカードが補われているわけですけど、マルセイユタロットで描かれているこの2枚のカードは、ライダー版タロットとは微妙に違うんですね。

 

特に「悪魔」のカードは、ライダー版タロットでは明らかにキリスト教的な解釈によって描かれていて、それは、「マルセイユタロットでは正しく描かれていないから我々が間違いを修正したのだ、こちらのものこそが正しいタロットだ」という感じで、互いに相容れない感じになってるように思うんですね。

けれども、私は、マルセイユタロットのこの「悪魔」のカードは、意図的にあのように微妙に違うニュアンスで描かれていると思ってるんですね。
ピエール・マドニエ版で、たとえば「悪魔」の被り物がキリスト教でいうところの「悪魔」のお決まりのヤギの角ではなくヘルメースの帽子のようなものだったり、手足の爪が猛禽類のかぎ爪でなく、ライオンの足のような爪が片側だけに描かれていたりするのも、意図的にぱっと見キリスト教の解釈に沿っているように見せかけて、あえて違う描き方をしているのだと思うんですね。マルセイユタロットに描かれている「悪魔」はキリスト教でいうところの「悪魔」ではなく、神様のひとつの姿であると。つまり、「不動明王」のような姿として描かれてると思うんです。そして、タロットにもその神様の力が働いているんだと思っています。そもそもタロットに不思議な力があって、占いでもすごく当たるように思えるのも、この神様の力をお借りしているからなのだと思うんですね。

 

*「不動明王」というのは、日本ではたくさんの寺院で立体の像とか絵を見ることができますけど、密教の根本尊である「大日如来」の化身とも言われてるそうなんですよね。

 

でも、ピエール・マドニエ版が描かれた当時はキリスト教社会だったので、・・・というかヨーロッパは今でもそうですが、それに逆らうようなものを作ったことがわかれば、当時は特にただではすまなかったから、あえてキリスト教の「悪魔」にも見えるような微妙な描き方をしていたんだと思うんですね。キリスト教にそぐわないタロットは没収され葬りさられたり、発行元も厳しい処罰を受けることは避けられなかったでしょうし・・・。

そして本当の「悪魔」は実は「教皇」のほうで、「教皇」のカードこそが、実は「教皇」の着ぐるみをまとった「悪魔」だという風刺を、暗に表現しているのだと思うんですね。「悪魔」のお決まりのアトリビュート(絵画や彫刻などで、神や人物の役目や資格などを表すシンボル)であるヤギの角や、手や足のかぎ爪や、さそりのような尻尾も、あの「教皇」の装束を身につけていたら隠れて見えないですからね。


・・・といった感じで、マルセイユタロットと、ライダー版タロットは、もうその解釈自体がまったく違うものだと思うんですね。

こういうことが自由に発言できるのも、私が現代の日本に住んでいる名もなきおばさんだから…っていうことも十二分にあると思いますが…(;^ω^)。

なので、マルセイユタロットも勉強してみたいな・・・という人には、ぜひマルセイユタロット専用の書籍を読んでほしいと思うわけなんですけど、じゃあどの本ならお勧めなのか…といっても、ヨアヴ博士の本の邦訳版もなかなか実現しないし、ホドロフスキー監督の本はいまいちカモワンタロット専用でちょっとクセがあるし、どれも一長一短なとこがあって。そうなると、 やっぱりマルセイユタロットの詳細な本も自分で作るしかないのかなと思いはじめて・・・。

 

今販売してる私の解説書は、タロットを買った人がタロットと一緒に持ち歩いて使えるようにと、かなりコンパクトに仕上げたので、各カードの解説は、イメージをふくらませる助けになるような由来とともにキーワードを書いてあって、詳しい説明は「タロットの会へようこそ」の本のほうに書くことにしたんですけど、これはタロットの制作の過程も含めてタロットの人たちに教えてもらった話を順をたどって書いてるので、例えば「愚者」なら「愚者」だけの話を特に焦点を当てて考察するのに参照しようと思っても、1巻から6巻までの長文の中から拾い出していかなきゃならなくなってしまってて。いや、こんなにどんどん続編書くことになるとは思ってなかったってのもあるんですけど、自分でもいざあちこちから参照してもらおうとしても拾い出すのも大変で・・・(;^_^A。

マルセイユタロットは特に、他のカードと対になってたり関連してる部分が数枚のカードと重なっているものもあったりするので、1枚ずつ区切って書いていくのには工夫がいるなーってことと、制作の過程で小出しに教えてもらえたこともあって、結局10年がかりでタロットを作りながら考察も深まってきたから、ばらばらと順に書き連ねてきたわけなんですけど、やっとタロット作りが完了した今だからこそ、そろそろそれをまとめる作業に着手してもいいんじゃないかとも思ったりして。 

 

タロットを作りはじめたときに、大した労力も使わずにタロットを自分のお金儲けや名声を得るために独占して使っている人のことを、タロットの人が「調子に乗ってるからこらしめなきゃならなかった」と言っていたり、最近になって夢の中で「良い戦士の使いとして大事に使い、自分がしてもらったことを広めるのです〜」と告げてきたのも、これが私のこれから取り組むことって言われているんじゃないかなーって気がしてきたんですよね。古くから語り継がれてきた教えや知恵を、きちんと後世の人たちにもわかりやすい形で残していかなきゃならないんじゃないかと・・・。それが、タロットの力を借りて使わせてもらっていることへの恩返しになるんじゃないかと思うんですね。

 

それで、そのあといろいろと、どんな形で本にするかってことをあれやこれや構想を練ってたわけですけど、けっきょく、制作の話もまだ続きの話ができてて、クラファンのこととか、それでタロットがようやくほんとに完成したって話までは、まだ全部書き終えてないから、まずはそこから書き上げないとだよな・・・っていうのもあるしなーと。

それと、これまで、私の世界観に共感してすべての書籍を読んでくれてる人もいるわけですが、その人にとっては、あらたにまとめなおす本はこれまでに出した本と内容が重複してしまう箇所もできてしまうわけで、それもどうかなって気もしてきてしまって。

 

私の本に興味のある人の中には、別にマルセイユタロットが好きなわけじゃなくて、手っ取り早くマルセイユタロットの情報を知って簡単に使いたいだけみたいな人もいると思うんですけど、そういう人のニーズを優先して、ただ要点だけを抽出したような、解釈を箇条書きにまとめたような本を出してもしかたないんじゃないのかなと思うんですね。その話の背景みたいなとこもちゃんと知ってもらわないと、きちんとしたニュアンスが伝わらないんじゃって気がして。
そもそも、タロットが簡単にマスターできるなんて思うことじたいが、おこがましいと思うんですよ。


・・・ってことで、どうしたもんかな~とお風呂にぽやっと浸かりながらあれこれ考えて、ようやくだいたいの構想がまとまってきました。

 

まずは、「タロットの会へようこそ」の7巻を書いて、そこに制作の話を含めてその過程でまたタロットの人から聞いた話とか夢のことや私が考えたことなんかを順番にまとめていくのがひとつ。

それから、それを含めた1巻から7巻までの話も参照してもらう形にして、他の巻に書いたことは何巻の何ページって注釈を入れていって、今書いた「悪魔」の話のようなことを、「愚者」から「世界」まで順番に、カラーの挿し絵も入れて、総集編っていう形でまとめようかな~っていうことでだいたいの方針ができてきました。いってみれば、1巻から7巻までの索引として使える本…という感じですかね。
なので、それまでに出した解説書やタロットの会へようこその全巻を読み込んでいる人は、別に無理にその本を買って読まなくても大丈夫っていう状態にしておきたいなと思うんですね。
アニメなんかで、時々総集編の回があったりするのと同じような扱いと思っていただけたら・・・(*^。^*)。
総集編を見ることで、本編も見てみようかと思ってもらえれば成功かなと思います。


本の形式としては、7巻はいつも通りの本文モノクロの10inchの紙の本にして、8巻は挿し絵もオールカラーのミニチュア本にしようかな・・・と。まぁ、ミニチュア本はオプションのひとつで、もとの本は基本の10inchの本で作ることになるので、そっちがいいという人はそれも買えますけど、大きいカラーの本はお値段もなかなか高くなっちゃいますからね。

ミニチュア本は最大でも128ページまでだから、22枚で割ると1つのカードあたり5.8ページってことで、まー注釈入れつつまとめたらなんとか収められるかな・・・と思うんですけど。
もしどうしても128ページを超えてしまうようなら、ミニチュア本はあきらめて10inch本で仕上げようと思います。

 

ということで、ようやくだいたいの方針が決まったので、ぼちぼち本の文章書き始めようかなと思ってます。まずは、6巻でどこまで書いてたか、自分の記録用のノートと照らし合わせるとこからですね・・・。

 

最初は、それまでに読んだ本の内容に疑問が出てきて、自分でタロットの瞑想をして直接タロットの人に聞いて確かめようってことにしてから、途中でタロットも作りたくなって、そのあと本も作って・・・と、いろいろ取り組んでいるうちにずいぶんと時間が流れましたが、前衛的なみずがめ座の私のライフワークの仕上げにふさわしい、渾身のできの本になるんじゃないかと思ってるところです。

 

まぁ、途中で路線変更もあるかもしれませんが、どっちにしても、こんなコンセプトの本を、内容に口出しせずに出してくれる出版社なんてないと思うので、今回もまた完全自費出版でいくつもりなんで、マイペースでちまちまやっていこうと思ってます。