『喋ってほしい』よりも、
『コミュニケーションが取りたい』だったけど、その感覚はなかなか分かって貰えなかった。

本人からの表出がない時期、何でもいいから本人からの【ことば】が欲しかった。
【ことば】=音声言語の人が多くて、表情、身振り手振り、絵カード、ハンドサイン、文字盤、筆談…本人から出せるならどんな手段でも良い。という感覚はなかなか分かってもらえなかった。
発達センターで【性格】を聞かれても答えられず、「優しいにしておきましょう」と言われた時の…あの気持ち。

でも、発語がないからと、他のコミュニケーション手段を使う私には、かなりの横槍が入ってきた。
「そんなこと(絵カード)していると、ますます喋れなくなる」
「手話は使わないで下さい。喋れるまで、私たちは待ちますから(ニッコリ」
「喋れないのに文字を教えるなんて…」

そこに負けなかったのは、私の思い込みの強さと、光とともに…と、東田直樹さんと、おめめどうと、先輩ブロガーと、一緒に歩いてくれたSTのおかげ。
出会いは運もあるけれど、あの時期の私は運を活かしきった。
人生で一番頑張っていた。

あれ程の競走馬には戻れないけど、更年期のなりに高校生のtatataと進むんだ。