港出船の銅鑼の音たのし。 | ママゲリア聖子の大阪ロマンチック

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北大阪在住、食いしん坊で呑んべえのなかよし夫婦のいろいろを記録しておきたいと思います。こんなに楽しい毎日、本当に感謝しています。

2018年8月12日日曜日。

ネット環境の悪いところにおり、前日のブログもまだ送信できていません。
このまま、約10日後に帰阪するまで日記を書きためておくことになるのかも知れず?

ともかく今これは、本州新潟から北海道小樽に向かう新日本海フェリーらべんだあの中で書いています。
明け方4時に到着の予定です。
たいへん快適な船旅です。

お墓参りをした日、ドライバーの夫には夕飯前に少し昼寝をしてもらいました。深夜に北陸道で新潟までドライブするためです。

9時頃に家を出発しました。
私はナビ席でうとうととぐっすりを繰り返し、気がついたら4時間ノンストップで新潟に着いていました。てっきりサービスエリアで仮眠をとりながら進むものと思っていたのに。
夫は、旅に出るのが嬉しくて、ドーパミンとやらが出ていたのだそうです。

ともかく朝が来るのを待って、新潟の町へ降りました。

フェリーの出船の銅鑼の音をお伝え出来ないのが残念です。
船旅の無事を祈る伝統的な行為です。

この音に送られて、船旅のみならず、私たちの北海道キャラバンも無事に終えられますように。

出航手続きが始まるまでの間、新潟をうろうろとドライブ&お散歩しました。

体感では木陰は21℃程度でしょうか?
こんなに気持ちのよい気温は大阪では長いこと経験していません。


これは、日本海側で最高層という「朱鷺メッセ」というビルの最上階展望台から見た新潟港の景色です。

新潟はかつて、江戸、大阪に匹敵するほど栄えたといいますが、戦災や大火、川の氾濫などで町の姿を刻々と変えてきたようで、こうして俯瞰しても、その頃の面影を宿す町並みを発見することはできません。

「沼垂まつり」という幟が立てられているエリアがあり、町の地図に「沼垂(ぬったり)定住300年の碑」という表示を見つけ、調べてみたところ、古事記にもその名が登場するぬたりという集落は、何度も信濃川と阿賀野川の氾濫によって翻弄され、村ごと幾度も場所を変えざるを得なかったのが、ようやくこの地に定住、その300年を祝って碑が建てられたということがわかりました。

新潟市はじっくり旅したことがないのです。いつか、我が国の誇る穀倉地帯の繁栄の歴史を辿る旅をしてみたいと思います。


さて、フェリーの中でのひととき。

これがなかなか快適で、こんなにも眠れるものか?というほど深い眠りにつくことができました。
中でもお風呂が最高でしたが、画像はありません。
日本海をキラキラ輝かす太陽を見ながら、露天風呂に浸かる気持ちよさに大満足しました。

乗船してすぐのお昼ご飯は、船室のベッドの間に置いたクーラーボックスをテーブルにして、町のスーパーマーケットで調達したお弁当。
地ビールをシェアして、ともかく旅の始まりに乾杯です。

船首の5階部分に、航路の行く手を見晴らせる快適な読書ルームがあって、そこでまったり過ごすこともできます。

さらにエントランスホールではマジックショーなども開催され、お盆の帰省や旅行にはしゃぐ幼い子供たちが食らいついて見ていました。


閉塞感のある船室ではなく、オープンデッキで夕飯をとることにしました。

潮風が肌寒いほどです。
風を避けたところにテーブルと、大型のテレビが据え付けてあり、夏旅のフェリーあるあるで、甲子園の球児たちの勇姿が放映されていました。

最終第4試合は途中からナイターになりました。
高知商業と西神奈川代表慶応高校の一戦です。

どちらの学校にも、縁もゆかりもありませんが、なんとなく地方出身の庶民の味方をする気持ちが働いて、高知商業に肩入れして観戦していました。
慶応のエースは2回に大量7点も取られて早々に交代。

どういうわけだか、ベンチに引っ込んだこの投手の、仲間の試合を見守る泣き顔が何度も大写しにされるにつれ、もらい泣きしてしまって。
勝った高知商業の大芋小芋みたいなボクトツなバッテリーの好ましさやら、靴袋に黒々とした土を詰める慶応ボーイやら、何が写ってもツボにはまって涙が止まらなくなってしまいました。
高校野球って、やっぱりエエもんやなぁ。



試合の合間に見た日没です。

このあと、大きな大きな太陽が燃えながら海に落ちて行くのを見届けました。

明日の仕事のことなんか考えずに、ゆったり日本海に沈む夕陽を眺めていられる幸せ。雲の表情がこんなに豊かだということも、都会の区切られた空では気配しか認められない。

雨でも嵐でも、大自然に抱かれてふらふらになりたい。