Bay City Rollers「Saturday Night」 | ママゲリア聖子の大阪ロマンチック

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北大阪在住、食いしん坊で呑んべえのなかよし夫婦のいろいろを記録しておきたいと思います。こんなに楽しい毎日、本当に感謝しています。

お昼の放送、何が流れてた?
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普段、アメブロの編集画面に、このような表示があってもいっこうに関心を示していない私なのですが、「お昼の放送」と聞いて、まざまざとよみがえる記憶があるので、この際書いておきます。

神奈川県の片田舎で過ごした子供時代。
放送委員会に入るのは、おそらく当時最もとんがっていたラジオ少年少女だったのだと思われます。

放送委員会に限らず、何らかの専門委員会に所属して、生徒の自治活動に参加するのは、選ばれたエリートの証、まぶしい憧れでした。

ボヤボヤしている凡才には、生徒会の役員選挙に出馬することなど夢のまた夢。本当の意味で、生徒からも先生からも信頼される若き人格者のみに許される世界でした。

選挙活動も盛んで、ひとつのポストに出馬する候補者が何人もいて、開票結果は大ニュースだったように思います。

生徒会長を要とする執行部を筆頭に、生徒会は、校内の様々なことに目配りして、「私たちの学園生活をもっと良くしよう」という気概に溢れていました。

その中にあって、放送委員会は最先端のセンスを発揮したがるDJ志向の子の巣窟だったように思います。
深夜ラジオの全盛期でしたもの。
ヤンタン、ヤンリク、オールナイトニッポン。そして、電波が意外にキャッチしやすいのがFar East Networkでした。

お弁当を食べる短い時間、どんなおしゃべりが流れていたのかは全然記憶にないですが、はっきり覚えているのは、ベイ・シティ・ローラーズとグレープ。

印象に残る1曲というなら、断然Baycity rollersのSaturday nightです。

お弁当包みがタータンチェックだっていうことが、ギチギチに風紀にうるさい校則の隙間をかいくぐったオシャレなこだわりでしたもの。
あれ?マフラー着用は許されてなかったのかな?チェックのマフラーは中学生のときは持ってなかったなぁ。

当時でも、すでにビートルズを聴くのは懐古趣味だったと思うのですが、YesterdayやLet It Beも繰り返しかかっていました。
お昼の放送で刷り込まれた音は、他にもたくさんあったはず。



帰り道、どうしてもケーキが食べたくなり、通りすがりのケーキ屋さんで選んだチョコレートモンブラン。
店長のオススメとのことで。

ガツンと来ました。