孫SとY | fuu。のブログ

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あまりアクティブではない私。
好きなモノ、好きなコト、こだわり・・・
特にナシ。
そんな私の日常を
知人・友人への近況報告を兼ねて書いています。

5年前の脳梗塞後遺症で
特養に入所していた母。
今月8日、2回目の脳梗塞で入院
5日後に息を引き取りました。


8日の夜、長崎から姉親子が帰って来ました。
姉には、長女(高2)、長男(中2)、二女(中1)の3人の子供。

かつては長女1人で。
その後、長女&長男。
直近では長男&二女で、長期休暇には
子供だけでバスに乗ってやって来ます。

元々は、祖父母の家へ泊まりに行くのが目的だったけれど
二女が来るようになってからは
祖父母宅が古くて怖いと言って
我が家に泊まりに来るのが慣例となりました。

長男は、祖父母宅でも特に問題なく
祖父母に対して距離もなく
どちらも大事にしてくれていました。

母(祖母)が最初の脳梗塞で倒れた時は
とにかく身体のあちこちを痛がって
身体中シップを貼り、額には冷えピタを貼っていました。
そんな母の身体を、いつも優しくマッサージしてくれていたのが彼です。

わずかな期間の在宅介護中や
施設入所後、たまに帰宅した母の身の回りの世話も小まめにしてくれました。


一方、二女は正直なところ
他の孫4人と比べて、あまり祖父母との思い出が無いかも知れません。

母が倒れた時は小学2年生。

そうそう。
日常生活の中でお年寄りと接する機会が殆ど無く
キレイに整った環境の中での生活が当たり前の子なので
曽祖母に初めて会った時にはとても怖がって
寝ている曽祖母を見て、死んでいるんじゃないかと怯えていたっけ…
祖父母の家も古くて怖いばかり。

母が倒れてからは、施設への面会時には
恐怖が先に立つし、排泄臭に耐えられない…というのが表立って
他の孫と比べて、あまり母に対しての思い入れが無いのが明らかでした。

母が亡くなり、それぞれ手紙を書いて棺に入れて上げるように話した時
はっきり
『ばあばとの思い出は、そんなに記憶に無い』
と言いました。

確かに、祖父母を交えて
みんなで何処かへ出掛けたとか、何かしたとか
そんな時、この子が一緒だった記憶はあまり無い気がします。

写真を見れば、一緒に写っているものは沢山あるけど
まだ幼すぎて、祖母との良い思い出としては
残っていないかも。

何だかんだ寂しい気はするけれど
共に過ごした記憶が無いものは仕方ない…
と思っていたけど
息を引き取った母を自宅へ連れて帰って
お寺さんにお参りをしていただいた時
思いがけず二女が号泣しました。

この子に感情が無いとは言わないけれど
もっと淡白にやり過ごしてしまうのかと思っていたので意表を突かれたような
でもやっぱり、母への想いがちゃんとあったんだと思ったら嬉しくて更に泣けました。

甥っ子の方は、どの時にも泣き崩れていて
火葬後、ただ一人身をよじらせて嗚咽していました。

いつの間にか私の身長をグンと追い越して
すっかり男らしくなった甥っ子。
こんな子が、こんなにも感情を露わにして泣くのかと感動したし
こんなに孫から想われていた母は
幸せだなぁと思いました。

彼には、『ばあばは幸せだったよ。
こんなに長く孫が傍に居てくれて…』と
学校を休んでまで長い時間、母に付き添ってくれた事への感謝を伝えました。

『これで、ばあばは痛いのも、しんどいのも
楽になったっよ、きっと。ありがとうね。』
と言っても、彼は暫く泣き止まなかったけど
本当に、この子の優しさには感謝しかありません。

本当に本当に、ありがとう。