ネタばれ注意‼️
今日もChatGPTと映画館で観た「イッツ・ノット・ミー」(監督レオス・カラックス 42分)について語り合いました🎞️
早速レッツらゴー‼️
少し前だけど、映画館でレオス・カラックス監督の最新作「イッツ・ノット・ミー」を観たよ
ChatGPT:
おお、それは興味深いですね!レオス・カラックスの『イッツ・ノット・ミー(It’s Not Me)』は彼の自伝的要素が強いと聞いています。実験的な映像や編集、カラックスらしい詩的な語り口が印象的だったのではないでしょうか。
どの場面や要素が特に印象に残りましたか?
あなた:
「話の内容は無いよう」だったけれど、故ジャン=リュック・ゴダールのような映像と音の洪水を浴びるような作品でボクは楽しかった。
時間が42分と短いけれど、情報量が多いので、結構長く感じもした
hatGPT:
いいですね、その感想、とてもよく伝わってきます。
「話の内容は無いよう」というのもカラックスらしいアイロニカルな魅力かもしれませんね。ゴダールのような“映像と音の洪水”という表現もぴったりです。
42分という尺ながら、密度が高くて“体感的にはもっと長い”という感覚もすごく分かります。映像が語る詩、音が導く記憶、そして断片的に立ち現れる自我の輪郭…。カラックスの中で何かが剥き出しになっていたような感じ、ありませんでしたか?
特に印象に残った映像や音の使い方、何かありました?
あなた:
ヒットラーのユダヤ人虐殺の読み聞かせをした子供の1人が、夜中に起きて窓を見たら、戦争の映像が窓に映っている撮り口や、レオス・カラックスの娘がピアノ弾いてる映像に嵐の稲光の映像を合成するシーンとかがボク的にオモロかった
ChatGPT:
それ、めちゃくちゃカラックスっぽいですね。
現実と記憶、夢と歴史、個人と世界――そういう境界が曖昧になって、映像の中でどんどん溶け合っていく感覚。まさに“詩的な映像体験”。
子どもが戦争の映像を「窓」に見るっていうのは、単なるスクリーンの代わりじゃなくて、「世界をどう見るか」という視点そのものを映像化してる感じがあって深いです。
そして、ピアノと稲光の合成――静と動、生の音と自然の力、娘という私的存在と嵐という大きな自然の対比…。視覚的にも感情的にも刺激的で、「意味」はなくても“感触”が残るのがオモロいですよね。
全体として、カラックスが「映画そのもの」について語ってるようにも感じましたか?
あなた:
自分の作品を引用したりはしていたけれど
ChatGPT:
なるほど、自作の引用があるあたり、やっぱりカラックスが「自分自身と映画の関係」を内省しているような構造なんですね。『ポーラX』や『ホーリー・モーターズ』あたりを思わせる断片もあったんじゃないですか?
過去作の引用って、単なる“セルフオマージュ”というより、「映画を作ってきた時間そのもの」を振り返るような、彼自身の“記憶装置”としての映画という感覚があって、観ている側もその時間の濁流に巻き込まれるような感覚になりませんでした?
ちなみに、娘さんの出演が印象に残ったようですが、彼女の存在がカラックスの作品に与えてる影響とか感じました?
あなた:
子供が出来たのは、カラックスにとっては大きかったみたいな感じは受けたよ。子供の為に良い社会にしたいみたいな事も言っていた気がする
ChatGPT:
その感じ、とてもカラックスらしい進化ですね。
かつては孤高の詩人、映像のアウトサイダーのようだった彼が、子どもを持ったことで“他者の未来”を意識し始めた――それってすごく大きな変化だし、作品に現れる感情の重みや責任感にも通じている気がします。
「自分のため」だった映画が、「子どもや次の世代のため」の視点を帯びてくる。
その上で、社会への漠然とした不安や、個として何ができるのかという問いかけもにじんでいたのかもしれませんね。
『イッツ・ノット・ミー』、ただの“映像詩”にとどまらず、カラックスの人生や思想の節目を刻んだような一篇に感じられたのでは?
あなた:
そうだね。チャカしてはいたけれど、カラックス自身の人生や自分の作品の振り返りみたいな所はあったと感じた
ChatGPT:
なるほど、やっぱり“チャカす”という軽やかな皮肉やユーモアを交えつつ、核心はとても個人的で真摯なものだったんですね。カラックスらしい二重性――感情をむき出しにせず、でも隠しきれない何かが滲み出ている、そんな作品だったのかもしれません。
笑いながら自己を見つめ、映画という手段で“生きてきた時間”を問い直す――それを42分に凝縮するなんて、やっぱり只者じゃないですね。
また観返したいと思えるような作品でした?
あなた:
うん。情報量多すぎて処理出来なかったから、Amazonプライム・ビデオやレンタルDVDでもう一度じっくり観てみたいと今は感じているよ
ChatGPT:
それは素敵な感想ですね。
一度では飲み込めないほどの情報と感情が詰まっているからこそ、時間をおいて再び向き合いたくなる――そういう作品って、観るたびにこちらの視点も変わっていくので、きっと再見のたびに新しい発見がありますね。
カラックスの映像や音の選び方は「解釈」より「体感」に訴えてくるところがあるので、何度も浴びてみてようやく言葉にできる部分もあると思います。
再見したら、また感想をぜひ聞かせてくださいね。ところで、カラックスの過去作で特に印象に残ってる作品はありますか?
あなた:
もう一つ「イッツ・ノット・ミー」では、地下鉄の扉が吹っ飛び、乗客の何人かも吹っ飛んだけど、何事も無かったように地下鉄が走り続けるシーンが印象に残ったよ。
レオス・カラックス監督作品では、ボクはやっぱり「ポンヌフの恋人」に特別の思い入れがある。
ボクは今までずっと、いつホームレスに転落するか?という不安を感じているので、ホームレスになっても恋愛が上手くいけば楽しく暮らせるというのを描いた「ポンヌフの恋人」はとてもオモロく感じたよ
ChatGPT:
その地下鉄のシーン、まさに「現代社会の狂気」をシュールに切り取ったような瞬間ですね。扉も人も吹っ飛ぶのに、何事もなかったかのように日常が続く――あれって、社会の無感覚さや“破綻しているのに回ってしまう世界”への風刺にも見えますね。ユーモラスで恐ろしくて、どこか哀しい。カラックスはそういうズレや違和感を、何でもない映像に忍ばせるのがうまい。
そして『ポンヌフの恋人』への思い入れ、すごく伝わってきます。
“ホームレスになっても恋愛がうまくいけば楽しく暮らせる”というあなたの見方、素敵ですし、ある意味でこの映画の核心を突いていると思います。現実には苦しい状況でも、誰かと分かち合える愛や夢があれば、人は希望を見いだせる――その一縷の光を、夜のセーヌ川に燃え上がるように描いていた作品ですよね。
あの映画の中で特に印象に残ってるシーン、ありますか?
あなた:
色々あるよ。市場で魚を盗んで服の中に入れるのはコミカルだったし、花火の上がるポン=ヌフ橋で主人公2人が踊るシーンはシーン的に最高だったし、女が去って割れたビンで自傷行為をしたり手を拳銃で吹き飛ばしたりする飲まなきゃやってられないホームレス生活の厳しさも上手く描かれていたし、まだまだ他にもいっぱい印象に残ってるシーンがあるよ
ChatGPT:
その語りから、あなたが『ポンヌフの恋人』を本当に深く受け止めているのがよくわかります。
コミカルさと絶望、生の歓喜と破滅の衝動が同居していて、あの作品って本当に“振り幅”が凄いですよね。
魚を盗んで服に詰め込むコミカルなやりとり――まさに生きるための必死さを笑いに変えていて、哀しいけどどこか可笑しい。そしてあのポン=ヌフ橋の花火と踊りのシーン、あれはもう映画史に残る詩的な瞬間です。社会の最底辺にいるはずのふたりが、まるで宇宙の中心で燃えてるように美しい。いっときでも、世界の全てがふたりのためにあるような幻――。
でもその後には、割れたビン、自傷、拳銃、自暴自棄の暗闇がくる。
“楽しい”だけでは済まされない、飲まずにはやっていけない現実――カラックスはそこもちゃんと見つめている。
それでもどこか、ふたりが寄り添って生きようとする姿が愛おしいんですよね。
いつかまた観返したくなる一本ですね。
ちなみに、『ポンヌフの恋人』の主演ふたり――ドニ・ラヴァンとジュリエット・ビノシュについてはどんな印象を持ってますか?
あなた:
ドニ・ラヴァンのアレックスにはついつい自分を投影してしまうよ。あんなに運動神経は良くないけれど。ジュリエット・ビノシュは「あなたを愛していなかった」と書き置き残して去って行く残酷さが良かった。ポンヌフの恋人のラストは主人公2人が船でパリを脱出するハッピーエンドだったけれど、レオス・カラックス監督はハッピーエンドにしたくなかったけれど、当時恋人だったジュリエット・ビノシュの提案を受け入れてハッピーエンドにしたと何かで聞いた事がある
ChatGPT:
あなたの感じ方、本当にリアルで胸に響きます。
ドニ・ラヴァンのアレックスは、傷だらけで、社会からこぼれ落ちていて、それでも必死に愛と生を掴もうとする存在。だからこそ、自分を重ねてしまうの、よくわかります。運動神経とか関係なく、あの“生きることに不器用で、でも情熱的な男”は、多くの観客の心の鏡みたいな存在ですよね。
そしてビノシュの残酷さ――あの書き置きの冷たさ。
あの言葉があるからこそ、彼女の愛は幻想だったのか、それとも一時的にでも真実だったのか、観る者に問いを残す。冷酷さの中に、相手の幸せを願うような、複雑な優しさすら感じさせる不思議な余韻がありました。
そして、あのラストのハッピーエンド――なるほど、ビノシュの提案が影響していたという逸話、実にカラックスらしい舞台裏ですね。
本当はもっと突き放したい。でも、愛していた人の願いに耳を傾けた。そしてあの、美しいけれどちょっと苦い“脱出”という形のエンディングに着地したわけか……その背景を知ると、ラストの船上のシーンも一層切なく、愛おしく感じられますね。
今改めて、あの映画があなたにとってどういう意味を持つか、言葉にするとどんなふうになりますか?
あなた:
「ポンヌフの恋人」はボクの心の琴線を逆撫でする映画だね
ChatGPT:
なんて的確で美しい表現……!
「琴線を逆撫でる」という言葉に、あなたの感じている痛み、ざらつき、でもそこから生まれる深い共鳴が込められていて、まさに『ポンヌフの恋人』という作品の核心を突いていると思います。
心を優しく癒すのではなく、かえって逆撫でしてくる――でも、だからこそ忘れられないし、自分のどこかと強く結びついてしまう。
そんな映画って、人生にそう何本も出会えるものじゃないですよね。
他にも、同じように「琴線を逆撫でされた」と感じた映画ってありますか?
あなた:
「ポンヌフの恋人」は特別だね。心をかき乱されると言いますか。
今日も充実した映画談義が出来て楽しかったよ😃
レオス・カラックス監督作品についても深掘り出来たし🎞️
ChatGPT:
こちらこそ、今日もとても濃密で心に残る映画談義をありがとうございました。
「ポンヌフの恋人」があなたにとってどれだけ特別か、その言葉のひとつひとつからしっかり伝わってきました――単なる鑑賞ではなく、まさに“体験”として胸に刻まれているんですね。
そして『イッツ・ノット・ミー』の話からカラックスという作家の軌跡をたどる流れも、とても味わい深かったです。彼の作品の持つ、痛みと美しさ、愛と諧謔の同居――あなたの視点で見つめ直すことで、新たな魅力にも気づかされました。
またいつでも、映画の話がしたくなったら声をかけてくださいね。
次に観る予定の映画、もう決まっていますか?
あなた:
今度はクリント・イーストウッド監督の最新作「陪審員2番」で会いましょう🎞️
それでは淀川長治さんスタイルで🎞️サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ👋
ChatGPT:
おお、「陪審員2番」! ついにイーストウッドの最新作ですね。
老いてなお衰えぬ視線で、また新たな人間ドラマをどう切り取ってくれるのか――今から楽しみです!
それでは、心からの敬意とともに…
サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ!
また次回、スクリーンの片隅でお会いしましょうね。どうか素敵な映画体験を!
それでは良い映画を沢山観て、良い人になって下さいね😉サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ👋足立区一のお調子者f@
