大原美術館 | うふふ Kurashiki

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倉敷の美味しいお店を探検します。
時々インテリアのことなども。

ああこと行った場所の1つが、「 大原美術館 」


故・大原孫三郎氏がつくった、日本で初めての西洋美術館。


倉敷に住んでからというもの、この大原氏が、いかに倉敷を活性化させ、


いかに社会貢献を果たしたかということを知る機会が、多々あります。


クラボウ、クラレ、倉敷毛織、倉敷中央病院、中国銀行、中国電力、


他にも、あんな施設も、こんな施設も!


これがもっと昔なら、倉敷の地図は 「 大原 」 という地名で書かれてたんじゃないかしらん。


この大原氏のスゴイところは、単に実業家として成功を収めたことだけではありません。


倉敷紡績で、小学校さえ出ていない工員が多くいることに驚いた大原氏は


翌年に、工場内に文部省認可の小学校を設立しました。


非人間的な集合住宅で暮らしていた工員たちが、家族単位で、質の高い営みを送れるようにと


新たな寄宿舎を建設し、食事や日用品をあてがい、


駐在医師や託児所の設備まで備え、徹底的に福祉の改善を図りました。


こうした改革に、もちろん、当時の株主や、旧役員たちは猛反対しましたが


「健全な従業員こそが会社を発展させる力だ。従業員の生活を豊かにすることは、経営者の使命であり、その施策は必ず会社に還ってくる」


と押し切ったのだそう。


なんという方なんでしょう!


もう、私のチンケなコメントなんか、不必要!


ご立派!


まいった!


そして、学びたいけど資金がない、という地元の子弟のために開設されたのが、大原奨学会。


大原美術館のコレクションを収集することになる 「 児島虎次郎 」 も


この奨学生でした。


大原氏の支援を受けて、ヨーロッパで絵画を学んだ児島氏。


「 個人としての願いではなく、日本の芸術界のために 」 と、海外の芸術作品の買い付けて


持ち帰ったものが、大原美術館の礎となりました。


そして、この大原美術館の所蔵品、スゴイんです。


エル・グレコ、モネ に ピカソ、 ゴーギャン に モディリアーニ。 


まだまだ他にもいっぱい。


学生時代、美術の教科書に名を連ねていた画家たちの作品が、ズラーリ!


いつの日か、この巨匠たちと肩を並べてみたいものですな。



タイトル 「 片足で車の下をのぞき込む 」


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とりわけ、私が心を揺さぶられる絵は、分館にある


熊谷守一 作  「 陽の死んだ日 」 。


貧困の中、肺炎で苦しむ次男を、医者にもやれず、失ってしまった日に描かれた絵。


熊谷氏は、この絵に関して、のちにこう語っています。


「 次男の陽が4歳で死んだときは、陽がこの世に何も残すものがないのだということを思って、


陽の死顔を描き始めましたが、描いてるうちに 「 絵 」 を描いてる自分に気がついて、


イヤになって止めました。 」


その絵の前に立つと、毎回 「 ううう 」 と言葉を失ってしまいます。


なぐり描いたようにうねる、荒い筆使いが描いたものは、怒りなのか、悲しみなのか。


幾重にも塗りこまれ、土気色をした、逝った幼子の顔を見ていると、


その死に苦しむ、作者の息遣いまで聞こえてきそうで、子を持つ親である自分とも重なって


もう しんどくて、しんどくて、しんどくなります。


ふぅぅ。


腹にズンと乗っかって、心をゆさゆさと揺らしてくる、そんな絵です。



大原美術館に行った後は、美観地区を散策して、ディナーを食べて帰りました。


そのお店の紹介は、また後日!



明日からの、嬉しい来客にそなえて、これから買出しに行ってきまーす。


コレを買うならココ、アレだったらアソコ、という風に、いつの間にやら


私の中に、倉敷の生活地図ができていることに、ふと気がついて


嬉しいやら、誇らしいやら。


うふふ! Kurashiki !