待ちわびているもの
温めた牛乳を飲みながら、私は現の部屋のガラスのテーブルの上に、家から持参した妄想ノートなるものを広げて、昨日見た夢を面白可笑しく広げたプチ小説を書いていた。
「妄想から小説が書けちゃうんだ」
「意外〜現も嫌みを言ったりするんだ」
「違う違う、嫌みなんかじゃないよ。俺はあんまり妄想ってしたことないし、もちろん文章なんか書けないから、素直にすごいなぁって思ったんだ」
慌ててそう弁解している現の、大袈裟な手の振り方が可愛かった。
「冗談よ、ありがとう」
そんな現の様子に笑みを見せてから、私はまた牛乳を口に含んで、銀色のシャープペンシルを手に取った。
そんな私の横で、現はこの間近所の公園で撮った私の写真を、黙々と見ていた。
あの日、西陽の当たるブランコに乗って喜ぶ私の姿を、現は夢中で撮っていた。
大口を開けて笑いながら漕ぐものだから、口の中に何度も虫が飛び込んだ。でも、現と一緒なら、そんなことすら嬉しくて、ふたりで大笑いをしながら日が隠れるまでそこにいた。
「どうしてむっちゃんのことを撮った写真は、見てると切なくなってくるんだろう」
現は、私を写した写真を、まじまじと見つめながら、不思議そうに呟いた。
「それは良い写真っていうこと?愛のチカラじゃない?」
私が、おどけてそう言うと、現は「ばーか」と笑い飛ばしてから、手に持った写真をもう一度じっくりと見つめていた。
現のその視線は、四角い枠に収まった笑顔の私が思わず目を背けてしまうほどに、まるで現場でシャッターを切る時のような、鬼気迫る真剣なものだった。ぎゅっと結んだ唇から顎にかけてのラインが、つるんとしていて愛しかった。
現は分かっていたのだと思う。
私は結婚などしていない。でもあなたとずっと一緒にいることはどうしてもできないのよ。ごめんね。
でも好きよ。物凄く好きよ。
そういう、声にならない私の言葉を、現は私の、写真から読み取っていたのだと思う。
そんな気がした。
私は何も言わなかった。現も何も言いはしなかった。
そういえば、初めのうちは、現に写真を撮ってもらうのが苦手だったっけ。
現の写真は本当に真っ直ぐで迷いがなくて、素人の私が見ても、確かに光るものがあった。現がシャッターを押した瞬間の、情景や周りの音や、被写体となったそのものの心の中の音が今にも聞こえてきそうな写真。
現がカメラを構えると、レンズのフィルター越しに、本当の自分が見透かされてしまうような気がして怖かったのだ。
そうして寒い冬が終わり、また暖かい季節が巡ってきて、どんどんと太陽が高くなっていって…気がつけば、現と出会ってから一年が経っていた。
現は決して自分から私の私情を聞かなかったけれど、ふたりの間には、言葉では言い表せないような何かが確実にあった。
たぶん、たぶんだけど、このままの関係ではいられないのだろうということが、お互いなんとなく分かっていたのだと思う。
予感のようなもの。その理由は、私の嘘と家庭の事情…だけではない気がした。
今思えば、初めて現の家に遊びに行ったあの日から、現と私は、大きなプログラムの中に組み込まれていたのかもしれない。
そして最終的に待ちわびているものに、段々と、でも確実に近づいていっているということも、お互いがこの頃には気づきはじめていた。
でも、そんなことも全てをひっくるめても、幸いふたりとも何にでも楽しみを見い出せる性格だった。ふたりでいることが余りにも自然で、何より幸せだと感じていた私たちは、周りにいる普通のカップルと同じようにうまくいっていた。